ポール牧
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ポール牧(ぽーるまき、1941年8月2日 - 2005年4月22日)は、日本のコメディアン・タレント・元僧侶。北海道天塩郡天塩町出身。実家は曹洞宗寺院。天塩高等学校卒業(同級生にラッシャー木村がいた)。血液型B。
本名は榛澤一道(はんざわ かずみち)。僧名は熈林一道(きりん いちどう)。
関武志とともにコント・ラッキー7を結成し人気を博した。リズム良く指を鳴らす「指パッチン」で知られた。 「ドーランの 下に涙の 喜劇人」は、彼が色紙にサインとともによく綴っていた句である。
K-1ファイターであるルスラン・カラエフなどの格闘家をマルプロジムへ連れてきていた。
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[編集] 略歴
- 1951年(昭和26)、10歳で得度。
- 1958年(昭和33)、還俗して上京。
- 1962年(昭和37)、芸能界デビュー(放送作家はかま満緒の弟子として萩本欽一と同期)。
- 1965年(昭和40)、関武志と「コント・ラッキー7」を結成。
- 1984年(昭和59)、関の死去によりコンビ解散。
- 1996年(平成8)9月30日、兄の死去をきっかけとして静岡県袋井市の萬松山可睡斎で再得度。
- 2001年(平成13)、離婚。
- 2002年(平成14)、茨城県鹿嶋市に司友山一道寺を創建し住職に就任する。
- 2004年(平成16)、再び還俗。
- 2005年(平成17)4月22日早朝、東京都新宿区内の自宅マンションから投身自殺。享年63。
[編集] 師匠
[編集] 著書
- 笑わせ者たちの伝説(現代書林)
- 生きるための言葉(河出書房新社)
- 指パッチン人生論(世界文化社)
- 今日ただ今の命―さて、どう生きる!(佼成出版社)
- 指パッチン流 色即是空(ぴいぷる社)
- 詩集・逆鱗
ほか多数
[編集] 主な出演作品
[編集] バラエティ
- ビートたけしのお笑いウルトラクイズ(日本テレビ、1989年~1996年)
[編集] ドラマ
- 破れ奉行(朝日放送、中村プロダクション、1977年)
- 噂の刑事トミーとマツ 第8話(TBS 1979年)
- 山河燃ゆ(NHK大河ドラマ、1989年)
- 夢帰行(NHK、1990年)
- 世にも奇妙な物語 「真夜中」「神様」(フジテレビ 1991年)
- 琉球の風 DRAGON SPIRIT(NHK大河ドラマ、1993年)
- 浅見光彦ミステリー 佐渡伝説殺人事件
- てるてる家族(NHK連続テレビ小説、2003年)
[編集] 映画
- 軍旗はためく下に(東宝、1972年)
- 俺は上野のプレスリー(松竹、1978年)
- 勢ぞろい おかま忠臣蔵(HHC、1979年)
- TATTOO<刺青>あり(国際放映、1982年)
- 哀しい気分でジョーク (松竹、1985年)
- ア・ホーマンス(東映、1986年)
- ウェルター(レイトンハウス、1987年)
- 新宿純愛物語(東映、1987年)
- 文学賞殺人事件 大いなる助走(アジャックス、1989年)
- カンバック(ガッツエンタープライズ、1990年)
- ふうせん(東映、1990年)
- きんぴら(東映、1990年)
- 風の国(東映アストロフィルム、1991年)
- カレンダー if just now(東映クラシックフィルム、1991年)
- 故郷(Mukai Production、1999年)
[編集] ビデオシネマ
- 裏切りの明日(東映ビデオ、1990年)
- けっこう仮面(ジャパンホームビデオ、1991年)
- 電影少女 VIDEO GIRL AI (東宝、1991年)
- Mr.ゴーストによろしく(マイルストーン、1991年)
- リバーシブル・恐怖篇(バップ、1991年)
- リバーシブル・爆発編 うぴょーツ!やっぱり男に戻りたい(バップ、1992年)
- ダ・ダーン(徳間ジャパン、1992年)
- 復讐(タキコーポレーション、1992年)
- 宇宙から来た美少女アミ&レイミ SOLDIER COP(アント・パスタ、1992年)
- 極楽競馬 のるかそるかの大逆転!(パック・イン・ビデオ、1992年)
- 中指姫 俺たちゃどうなる?(ポニーキャニオン、1993年)
- DAN-GAN 教師(東映ビデオ、1995年)
- Zero WOMAN 警視庁0課の女(ワニブックス、1995年)
- ガスコップ(シネマパラダイス、1995年)
- 82分署(ワニブックス、1995年)
- 花暦 市川恋太郎一座 大分佐伯 翔べないカモメ編(花暦制作実行委員会=カムテック、1997年)
[編集] 音楽作品
- 青春へのメッセージ(1991年11月21日)
- お気楽で行こう(1994年7月6日、ポール牧with松本コンチータ)
- 幸せパッチン・指パッチン(1995年6月21日)
- 恋牧峠(1996年10月19日)
[編集] エピソード
- ポール牧の「牧」は牧伸二と同様に漫談家・牧野周一一門である事を表す。ただし、ポールは牧野に師事後すぐに牧野をしくじり、破門されている。その後、別な師匠に弟子入りすると、今度は要領よくやり、叱られることはなかった。が、逆に師匠から「お前は要領が良すぎて、俺が怒る隙を与えない!」と叱責された。
- 榎本健一に弟子入りした時期、「コメディアンは自分の体をいじめて客を笑わせるんだ」という言葉に感激し、トーク番組などでよく語っていた。
- 「ホラ吹きポール」の異名を持つほど、ホラ話に事欠かない。「ビートたけしと一緒に銀座をハシゴした」と言ったが、実は飲み屋で一杯ほどごちそうされただけだったり、自身の浅草での舞台に長蛇の列ができても、「ホームレスがたくさん酔っぱらって死んでいた」と言うほどであった。
- しかし、根は真面目な人であり、大川豊ら当時の若手からも尊敬されていた。また、週刊誌のコラムを執筆し、当時の不祥事相次ぐ警察に苦言を呈するなど、文化人としての面もあり、各地で講演活動を行うほどであった。
- 1996年12月、テレビの取材で沖縄県島尻郡粟国村を訪れたのをきっかけに、1997年2月26日に同村初の「観光大使」に任命された。また、同村の地域振興券のデザインとしても採用された。
- 佐川急便の社員教育のビデオで、始めは荷物を出してくれない会社の社長を演じている。このストーリーは社員に研修で全員に見せており感動する出来すぎた話との声もあるが最後には取引をさせてくれ良い会社の社長役を好演している。
- 2000年に女性へのセクハラを告発された。「僕にはパワーがあるから、彼女に与えようとした」などと嘯いたため、講演活動を中心とした仕事が激減し、加えて、司友山一道寺の運営も行き詰まっていったといわれる。