マリア・カロリーネ (両シチリア王妃)
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マリア・カロリーナ・フォン・エスターライヒ(Maria Karolina von Österreich, 1752年8月13日 - 1814年9月8日)は「女帝」マリア・テレジアと神聖ローマ皇帝フランツ1世の十女で、両シチリア王フェルディナンド1世(元はナポリ王・シチリア王)の王妃。なおイタリア語読みではマリーア・カロリーナ(Maria Carolina d'Asburgo(d'Austria))となる。
当初はフランス王ルイ16世との縁組みが考えられていたが、すぐ上の姉マリア・ヨーゼファが結婚直前に急死したため、急遽カロリーネがナポリへ嫁ぐことになった。突然の結婚に、親しかった妹マリア・アントニア(アントワネット)は大変悲しんだという。
夫に変わって政治を執ることも多く、種々の改革を行った。また子にも多く恵まれ、母マリア・テレジアに最も似た人生を送った。軽率なアントニアではなくカロリーネが当初の予定通りフランス王妃となっていたら、歴史は大きく異なっていたと言われている。
[編集] 子女
- マリーア・テレーザ(1772-1807) - オーストリア皇帝フランツ1世妃
- マリーア・ルイザ(1773-1802) - トスカーナ大公フェルディナンド3世妃
- フランチェスコ(1777-1830) - 両シチリア王
- マリーア・クリスティーナ(1778-1849) - サルデーニャ王カルロ・フェリーチェ妃
- マリーア・アメリア(1782-1866) - フランス王ルイ・フィリップ妃
- マリーア・アントーニア(1782-1803) - スペイン王フェルナンド7世妃
- 1783 娘
- レオポルド・ミケーレ(1790-1851)
- アルベルト(?-1798)
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