マリナ・アニシナ
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フィギュアスケート | ||
金 | 2002 | アイスダンス |
銅 | 1998 | アイスダンス |
マリナ・アニシナ(Marina Anissina, Марина Анисина, 1975年8月30日 - )は元フィギュアスケーター。現在はコーチである。主な門下生としてジョニー・ウィアーがいる。
[編集] 来歴
ソヴィエト連邦のアイスホッケー選手としてヨーロッパ王者、世界王者を経験したWiatscheslaw Michailowitsch Anissin の娘。母親はペア競技の選手で、1972年の冬期オリンピック6位入賞の実績を持つ(現在はマリナとともにリヨンでコーチとして活動中)キャリアの後半においてパートナーであったグエンダル・ペイゼラ(フランス)と組む前は、ロシアにおいてセルゲイ・サフノフスキー(後にガリト・チャイトと組んでイスラエル代表となる人物)、次いでイリア・アベルブフと組んでいた。アニシナ自身もロシア代表選手であった。
アベルフフとは1990年と1992年の2回、ジュニア世界選手権に出場している。しかしその後アベルフフがイリーナ・ロバチェバと恋に落ちてしまい、アベルブフはロバチェバと新たにチームを結成してしまう(後に結婚)。
パートナーを失ったアニシナは必死で新たなパートナーを探し、1993年にフランスのグェンダル・ペイゼラとチームを結成。その後アニシナはフランス国籍を取得してフランス代表となり、チームは強豪の一つと認知されるようになる。当時の最大のライバルはカナダ代表のシェイ=リン・ボーン&ビクター・クラーツ組であった。また彼等より実力が上のチームとしてはグリシュク・プラトフ組、クリロワ・オフシアンニコフ組があった。
1996-1997シーズンより女性のアニシナが男性のペイゼラをリフトするという珍しい技を見せるようになる。
1998年の長野オリンピックでは銅メダルであったが、2002年のソルトレイク・シティ・オリンピックではかつてのパートナーであったロバチェバ&アベルブフ組を僅差で抑えて優勝を飾った。なお、この時に彼女らのチームは、ペア競技における採点操作疑惑に巻き込まれてもいる(詳しくは「ソルトレイクシティオリンピックにおけるフィギュアスケート・スキャンダル」の項を参照)。
NHK杯の常連でもあり、日本でも人気が高かったチームである。