ミニョネット号事件
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ミニョネット号事件とは19世紀に起きた、人食を目的とした殺人事件であるが、この猟奇的かつ異常な行為に至ったのは遭難による餓死からの回避のためであり、緊急避難のためにしかたがなかったといえる。なお、生存のために仲間の死体を食べる同様な事件としては、1816年のメデューズ号の筏事件、1972年のアンデス山中でのウルグァイ空軍機遭難事件、1943年のひかりごけ事件など世界各地で起きている。
[編集] 事件の概要
ミニョネット号 (Mignonette) はイギリス船籍であり、イギリスからオーストラリアに向けて航行していたが、1884年7月5日に喜望峰から1600マイル離れた公海上で難破し救命艇で4名の船員が脱出した。しかし救命艇には水や食料がほとんど積まれておらず、食料といえば5日目に捕まえたカメ以外には雨水しかなく、それも漂流18日目には完全に底をついた。そのため籤で仲間のためにその身を捧げるものを決めようとしたが話はまとまらなかったが、20日目に船員のなかで家族もなく年少者であった若者が海水を飲んで衰弱したため、神の許しを請うた他の船員に殺害されたうえに血と肉で命を繋いだというものである。
[編集] 裁判
24日目に船員3名はドイツ船に救助され生還したが、母国に送還されると殺人罪で拘束された。彼らは人の肉を食べるために殺人を犯したのは事実であるが、そうしなければ彼ら全員が死亡していたのは必定であり、たとえ若者が死亡するのを待っていたのならば、その血は凝固してすすることはできなかったといえる。そのため「カルネアデスの板」にみられる緊急避難を適用して違法性を阻却できたといえる。しかしながら罪があるとしてイギリス当局は起訴したが、最初の裁判の陪審員は違法性があるかいなかを判断できないと評決したため、イギリス高等法院が緊急避難が否かを自ら判断することになった。この事案に対してイギリス高等法院は緊急避難と認めることは法律と道徳を完全に乖離し肯定できないとし、謀殺罪として死刑が宣告された。しかし、世論は無罪が妥当との意見が多数であったため、当時の国家元首であったヴィクトリア女王から特赦され禁固6月に減刑された。以上のように彼らの犯した罪は道徳的には許されないものであったが、この漂流という絶体絶命の場面では生存のために仲間の肉体を食べる他に手段があったとはいえないので、違法性は阻却されたといえる。