ミハイ1世 (ルーマニア王)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ミハイ1世(Mihai I、1921年10月25日 - )はルーマニアの国王(在位:1927年 - 1930年、1940年 - 1947年)。父はカロル2世、母はギリシャ王コンスタンティノス1世の長女ヘレーネ。
1921年にカロル2世の次子として生まれる。1927年に祖父フェルディナンド1世が死去。本来ならばこの時に父が王位を継承するはずであった。ところが父は愛人関係のもつれから王位継承権を放棄。愛人とともに国外へ逃亡してしまったために、僅か6歳のミハイ1世が即位することになった。しかしその3年後に父カロル2世が突如帰国してミハイ1世を退位させ、代わって自身が国王に即位した。しかしカロル2世の国王独裁体制に非難の声が高まり、結局カロル2世は1940年に退位して再び亡命、ミハイ1世が国王の座に返り咲くことになった。
しかし共産化の波はルーマニアにも押し寄せ、王制廃止の世論に抗しきれず、ミハイ1世は1947年に廃位・亡命に追い込まれる。その後スペインに渡り、イベリア航空のパイロットなどをしながら亡命生活を強いられたが、共産主義体制の崩壊後にようやく帰国が許され、現在はルーマニアに在住している。
|
|
|
|
|
|
[編集] 関連項目
- ルーマニア王国
カテゴリ: 歴史関連のスタブ項目 | ルーマニアの君主 | ホーエンツォレルン家 | 1921年生