モーリス・ド・ヴラマンク
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モーリス・ド・ヴラマンク(Maurice de Vlaminck, 1876年4月4日 - 1958年10月11日)は、フォーヴィスム(野獣派)に分類される19世紀末~20世紀のフランスの画家。
ヴラマンクは、徹底した自由主義者で、自分の才能以外の何ものも信じず、何ごとにも束縛されたり、服従することを嫌った。こうした性格から、絵画についてもあらゆる伝統や教育を拒否し、少年時代に多少絵の手ほどきを受けた程度で、ほとんど独学であった。
1876年、パリで音楽教師の子として生まれるが、16歳の時には家を飛び出してシャトゥーに住んだ。18歳の時に結婚し、競輪選手をしたり、オーケストラでバイオリンを弾いたりして生計を立てていた。 1900年、シャトゥー出身の画家、アンドレ・ドランと偶然知り合って意気投合し、共同でアトリエを構える。1901年には、パリのベルネーム・ジュヌ画廊で開かれていたゴッホ展を見に行き、そこでドランを通じてマティスに紹介されている。
あらゆる伝統を拒否し、自分の才能だけを信じたヴラマンクであったが、ファン・ゴッホにだけは少なからず影響を受けていることを画家自身が表明しており、作品からも影響がうかがわれる。 ヴラマンクの絵は絵具チューブから絞り出した原色を塗りつけているように見えて、その画面には明るさよりは陰鬱さがただよっているのが特色である。 第一次世界大戦後はフォーヴィスムから離れて独自の道を歩んだ。
[編集] 代表作
- 赤い木のある風景(1906-07)(パリ、ポンピドゥー・センター)