パリ
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パリ ![]() |
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国 | フランス |
地域圏 (Région) | イル・ド・フランス地域圏 (地域圏首府) |
県 (département) | パリ (県庁所在地) |
郡 (arrondissement) | 20区役所所在地 |
小郡(canton) | なし |
INSEEコード | 75056, 75101-75116 |
郵便番号 | 75001-75020 および 75116 |
市長 任期 |
ベルトラン・ドラノエ 2001-2008 |
面積 | 市: 105.40 km² 都市圏: 14 518 km² |
人口 | 市: 2,170,000人 都市圏: 11,840,000 人 (2007年1月) |
人口密度 | 20 348 人/km² |
パリ(Paris、巴里、巴黎)は、フランスの首都であり、イル・ド・フランス地域圏の首府である。
目次 |
[編集] 概要
パリはパリ盆地のほぼ中央に位置し、市内をセーヌ川が貫く。市役所はセーヌ川右岸の北緯48度52分00秒、東経2度19分59秒に位置する。行政上では、一市単独で県を構成する特別市であり、中心部から順に20個の行政区に分割される。市域は西部のブローニュの森と東部のヴァンセンヌの森を併せて105.40平方キロメートルと、世界の大都市の中でも狭い部類に入る。更に旧城壁部分(純粋な市街地)の面積となると86.99平方キロメートルしかない。そのため市街地エリアに限定した人口密度は25000人近くに達する。ヨーロッパ随一の過密都市といえるだろう。市域人口は1950年代の約290万人をピークに長くドーナツ化現象によって減少し続けたが、ここ数年は減少が下げ止まり微増傾向に転じている。特に、再開発が進む南部や移民流入の著しい東部での人口増加が目立っている。
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フランスの政治・経済・文化の中心であり、同時に歴史的な建造物や美術館を数多く抱えるため「芸術の都」、「花の都」などとも呼ばれる、世界屈指の観光都市としての顔も持つ。第二次世界大戦において、空襲やその他の戦災を奇跡的に免れることができたため、パリは町全体が数多くの由緒ある歴史的建造物を有する一つのテーマパークのような存在になった。
また、古くから宗教・文化面などにおいて欧州各地、そして世界中から人を集める多民族集住地区であった。1960年代以降旧植民地であったアフリカ中部・北部やインドシナ半島、更に近年は中近東や東欧、中国などからの移民も増えてきた。
パリで生まれ育った男性はパリジャン(Parisien)、女性はパリジェンヌ(Parisienne)と呼ばれる。
[編集] 歴史
[編集] 語源
語源は Parisii (パリシー)と呼ばれるケルト人部族。Parisiiは「田舎者」、「乱暴者」を意味する。ローマ人が入ってくる以前のこの土地の先住民である。なお、フィンランド語でPariisi(パリーシ)と言われるのはここからだという説がある。Lutetia (Parisiorum) 「(パリシーたちの)ルテティア」とも呼ばれていた。(ギリシャ語では Παρίσι、イタリア語では Parigi)
なお、パリをこよなく愛する日本人である早川雅水は、自著の中で「パリ」の語源を Par 「等しい」+ Isis 「(エジプトの女神)イシス」と説明しているが、間違いである。
[編集] フランス王国首都
セーヌ川の中洲島シテ島の集落からはじまり、城塞都市として中世の間発達していった。西フランク王国が断絶した後、パリ伯ユーグ・カペーがフランス王に推挙されたことから、フランス王国の首都となった。初期スコラ学の中心の一つでもあり、11世紀頃からパリ大司教座聖堂付の学校が発達し、のちのパリ大学につながっていった。パリ大学はヨーロッパ最古の大学のひとつであり、特に神学の研究で著名であった。
市の規模が大きくなるにつれ、城壁は何度か壊され市域が拡大していった。ルイ14世の初期の頃までパリ市内のルーヴル宮殿が王宮として使われたが、ルイ14世はパリ郊外のヴェルサイユに造営した離宮に政治の本拠を移し、ルイ16世の治世の末期までヴェルサイユが政治の中心となった。ルイ16世は晩年強制的にパリのチュイルリー宮殿に戻された。ナポレオンは政権をとった後、チュイルリー宮殿を用いた。
[編集] 近代都市への変貌
現在の市域が確定するのは19世紀半ばナポレオン3世治下のことである。1860年に当時のセーヌ県知事であったオスマン男爵(Georges Eugène baron Haussmann)が、現在の12区東部および13-20区のフォーブール(近郊)を新たにパリ市に編入し、また旧城壁およびオペラ通りをはじめパリの主要道路等を設定した。緑地の少なかったパリに市民のための大規模公園設備も充実させ、パリは近代都市として生まれ変わった。現在のパリ市の姿はほぼこの時の状態をとどめている。(詳しくは「パリ改造」参照)
第一次世界大戦においてはドイツ軍による侵略を免れたものの、第二次世界大戦においては、1940年から1944年に自由フランスの指導者であるシャルル・ド・ゴール将軍によって解放されるまでの間、ナチス・ドイツによって占領されたが、最後のパリ占領ドイツ軍司令官のディートリヒ・フォン・コルティッツ将軍の英断により破壊から免れた(フォン・コルティッツは戦後、フランスから名誉パリ市民にされた)。
1801年から2005年までのパリの人口の推移 | |||||
1801年 | 1851年 | 1881年 | 1926年 | 1999年 | 2005年 |
547 800 | 1 053 000 | 2 240 000 | 2 871 000 | 2 125 946 | 2 154 000 |
[編集] 地理
[編集] 行政区
パリは、一市単独で県を構成するコミューン、いわゆる特別市である。市内は20個の行政区に区分されている。区は、パリ市街地の1区から、右回りの渦巻状に番号が付けられている。1,2,3,4,8,9,10,11,12,16,17,18,19,20区は右岸に、5,6,7,13,14,15区は左岸に位置する。
[編集] 各地域
(括弧内の数字は区。特に観光名所となっている地域は斜体とした):
- 右岸
- シャンゼリゼ通り(8) - 凱旋門からチュイルリーまで続く、パリを代表する目抜き通り。
- シテ島(1,4) - パリ発祥の地であり、ノートルダム大聖堂など歴史的建造物も多い。
- パッシー(16) - 高級住宅地として知られる。
- オペラ界隈(2) - デパートや高級ブティック、銀行などが立ち並ぶが、日本人街としても知られる。日本料理店や日本の生活雑貨店が並ぶ。
- マレ(3,4) - 貴族の館が集中して残る地域であり、現在は裕福なユダヤ系住民が多く住む。美術館やギャラリーも多い。お洒落なホモセクシャルの集まる地域でもある。
- バスティーユ(4,11,12の各境) - フランス革命の発端となった場所として有名だが、今では若者が集まる歓楽街となっている。オペラ・バスティーユ(国立新オペラ座)もある。
- オベルカンプ(11) - 同じく歓楽街だが、比較的新しい。テクノ音楽やゲームなど新しい文化を紹介する場として認識され、日本のアニメショップなども複数見られる。
- ピガール、ブランシュ(18) - モンマルトルのふもとに位置する。高級キャバレー「ムーラン・ルージュ」があることで知られるが、その他は怪しげなキャバレーやいかがわしいセックスショップが多く並ぶ性的歓楽街でもある。昔から猥雑な界隈であり、永井荷風の「ふらんす物語」にも描かれている。
- モンマルトル(18) - パリを見下ろす高台。パリ市に編入されたのは1860年以後だが、現在ではパリを代表する名観光地となっている。2001年のフランス映画『アメリ』の舞台にもなった。サクレ・クール寺院が一番の高台にそびえ、そこから西側へ行くにつれテルトル広場やムーラン・ド・ラ・ギャレットなど観光名所が多く並ぶ。寺院東側は観光地ではなくアフリカ系移民が多く暮らすシャトー・ルージュ地区。
- ベルシー(12) - 昔は倉庫街だったが今は再開発が進み、大蔵省やベルシー公園、ワイン倉庫街を改造したレストラン街などが新しい観光スポットとなっている。
- ベルヴィル(11,20) - アラブ系、アフリカ系、ユダヤ系(労働者系の)、中国系(華僑)など、主に労働者系の多くの移民が暮らす地域。安くて異国的なレストランなどが集中する。
- バルベス(18) - ベルヴィルと同じくアラブ系やアフリカ系の移民が多く暮らす。有名な安物服屋やアフリカ系商店街があり、人口密度も多く、駅前は常に混雑している。
- 左岸
- モンパルナス(14) - 庶民的な雰囲気を残す左岸の地域。
- サンジェルマン・デ・プレ(5,6) - 歴史的地区であり、また美術学校に近いことからギャラリーも多い。サルトルら哲学者が集まった場所として有名な2軒のカフェがある。カルチエ・ラタンに隣接する。
- カルチエ・ラタン(5,6) - ソルボンヌ大学をはじめ大学が集中しており、昔から学生街として有名。カルチエは「地区」、ラタンとは「ラテン語」のことであり、「ラテン語を話す (= 教養のある) 学生が集まる地区」という意味が語源。
- エッフェル塔とシャン・ド・マルス公園(7) - パリを代表する観光名所としてあまりに有名。セーヌ川の観光船のうち有名な2つの船の発着点ともなっており、観光客が集中する。
- トルビヤック(13) - いわゆる中華街だが実際はヴェトナム系が多く、中華・ヴェトナム料理店が並ぶ。昔はゴブラン織りで栄えたが、今は高層ビルが林立する再開発地域である。
[編集] 川、運河
[編集] 川
- セーヌ川 La Seine - パリ市内を横断する川であり、パリのセーヌ河岸は世界遺産に登録されている。パリではセーヌ川の北部を右岸、南部を左岸という。パリ市中心部にある川中島であるシテ島は、パリ市発祥の地である。シテ島の東にもうひとつサン・ルイ島という島がある。セーヌ川は重要な運路であり、パリ市内では観光船のほか運搬船も多く行き来する。パリ市東部郊外のごく近い場所でセーヌ川とマルヌ川が合流し、ベルシーからパリに入り、途中サン・ルイ島とシテ島を抜け、アンヴァリッドのあたりで南西に折れ曲がり、そのまま15区と16区を抜けていく。パリを抜けた後は蛇行を繰り返し、ノルマンディー地方を経て大西洋へと流れていく。パリ市内には多くの橋がかかっており、歴史やいわくのある橋も多い。詳しくはセーヌ川の項を参照。
- ビエーヴル川 La Bièvre - 13区のトルビヤック地区やゴブラン地区には、セーヌ川の支流であるビエーヴル川という自然の川がかつて流れていた。今は下水道として完全に地下化してしまい、現在の一般の地図上でその存在を確認することは出来ないが、古地図などで見ることが出来る。国立ゴブラン織り製作所は、この川の上に存在する。
[編集] 運河
- サン・マルタン運河 Canal Saint-Martin - パリ東部セーヌ右岸を南北に流れる運河。セーヌ川に面したサン・マルタン運河の出入口はアルスナル港と言う。ここからバスティーユ広場を経て、運河は地下水道となる。10区に入ったあたりで、運河は地上に顔を出す。この辺りには水位を上下するための水門がいくつかある。10区の運河沿いにはかつて革製品などの町工場が多く並んでいたが、今はそれらの工場は衰退しており、徐々に再開発の動きが進んでおり、最近は、景観を生かしてレストランが並ぶ。10区と19区の境にある地下鉄2,5および7bisジョレス(Jaurès)駅および地下鉄2,5および7番線スタリングラッド(Stalingrad)駅付近にあるラ・ヴィレット運河(Bassin de la Villette、Bassinはため池)まで出たところで、サン・マルタン運河の名称は終わる。今はサン・マルタン運河を走る運搬船はほとんどないが、観光船が走っている。
- ウルク運河 Canal de l'Ourcq - サン・マルタン運河と一続きの運河だが、ラ・ヴィレット運河より以北はこの名称になる。パリ19区からパンタン市へ、さらに遠方のウルク川へと繋がっている。メトロ5番線は、終点、ボビニー・パブロピカソ駅手前でこのウルク運河沿いの地上部を走る。ラ・ヴィレット公園の手前でサン・ドニ運河と分岐(合流)している。
- サン・ドニ運河 Canal de Saint-Denis - ラ・ヴィレット公園の手前でサン・ドニ運河と分岐・合流している。パリ市内では19区のごく一部を流れる。パリ郊外のオーベルヴィリエ市、サン・ドニ市を経て、パリ北部で蛇行するセーヌ川下流と合流する。ウルク運河経由で水路をショートカットするためにつくられており、運搬船が頻繁に行き来している。
[編集] 広場、公園、森
[編集] 広場
- コンコルド広場(1) パリの中心部、チュイルリー公園とシャンゼリゼ通りに挟まれて位置する。歴史ある広場で、フランス革命の後にはルイ16世やマリー・アントワネットの処刑が行われた。現在はツール・ド・フランスの終着点としても知られ、最終日には多くのファンが集まる。
- ヴァンドーム広場(1) ナポレオン2世の記念柱が立っている。この広場および隣接するサントノレ通りには高級宝石店や高級ブティックが並ぶ。
- バスティーユ広場(4,11,12の各境) フランス革命の発端となったバスティーユ要塞があった場所で、要塞は革命後に取り壊されて現在の広場となった。広場中央には革命の記念柱が立っている。広場に面してオペラ・バスティーユ(国立新オペラ座)がある。サン・マルタン運河出入口のアルスナル港にも面している。
- ヴォージュ広場(4) バスティーユ広場のすぐ近くだが奥まった場所にあり、赤い煉瓦と石造りの美しい建物に囲まれたほぼ正方形の広場である。その赤い建物の一角にはヴィクトル・ユーゴーの住んだ家がある。フランス革命前は国王(ロワイヤル)広場と呼ばれていた。
- サン・ミッシェル広場(6) カルチエ・ラタンの中心部に位置し、セーヌ川および対岸のシテ島、ノートルダム寺院に面している。本屋などが多くあるほか、広場裏手には安手のレストランが立ち並ぶ。
- シャルル・ド・ゴール広場(エトワール広場)(8) 凱旋門を中心に、シャンゼリゼ通りを含め放射状に道路が伸びる、パリの顔とも言うべき広場。元はエトワール広場と呼ばれたが、第二次世界大戦後シャルル・ド・ゴール将軍をたたえて現在の呼称となった。通常はエトワール広場の呼称でも通じる。1860年のパリ拡張以前はパリの西の玄関だった。
- レピュブリック広場(3,10,11) 訳すと共和国広場。庶民的な地区に位置するが、広場としてはきわめて大きいものの一つ。マニフェスタシオン(デモ)がある際にはほとんどここが起点となる。
- ナシオン広場(11,12) エトワール広場と同じく道が放射状に伸びる、1860年以前のパリの東の玄関。かつてカルーゼル凱旋門が置かれていたが現在同門はルーヴル正面に移され、現在ナシオン広場には2つの柱が立っている。ロベスピエールの恐怖政治時代にはここで多数の反体制者がギロチンで処刑された。
- テルトル広場(18) モンマルトルがパリに編入される以前はこの広場が村の中心だった。現在は絵描きが多く並ぶ一大観光名所となっている。
- イタリー広場(13) 13区の中心に位置する、パリの南の玄関口。
[編集] 公園、庭園
公園はパークParc、庭園はジャルダンJardinと呼ばれ区別されている。
- テュイルリー庭園(1) パリの中心部、ルーヴル宮の正面に位置する。かつてテュイルリー宮殿があった。
- リュクサンブール庭園(6) リュクサンブール宮殿(現在のフランス上院議会)の正面に位置する庭園。カルチエ・ラタンに隣接し、学生たちの憩いの場でもある。
- シャン・ド・マルス公園(7) 軍事学校の正面に位置し、かつて軍事演習場だった公園。パリ万博の会場にもなった。公園北側にはセーヌ川に面してエッフェル塔が立っている。
- モンソー公園(8) 1860年のオスマン公によるパリ大改造で公園に整備された。
- ベルヴィル公園(20) 庶民的なベルヴィル地区に位置する。高台になっており、パリを一望できるとても眺めの良い公園。
- ビュット・ショーモン公園(19) 同じく1860年のパリ大改造で整備され、昔の石切場跡を公園にした。
- 植物園(5) その名の通り植物園で、動物園も併設する(ただしヴァンセンヌの森の動物園よりは小さい)。敷地内には自然史博物館がある。
- モンスーリ公園(14) これも1860年のパリ大改造で整備された。14区の外れにあり、国際大学都市に面している。
- ジョルジュ・ブラッセン公園(15) 馬市場、家畜市場の跡を整備した公園で、銀色の巻貝のような劇場を併設する。馬市場の跡の19世紀の鉄骨屋根のテントの下では、定期的に古本市が開かれる。
- ラ・ヴィレット公園(19) 庶民的な地区に属するが、かつての食肉処理場跡および旧鉄道用地の広大な敷地を再開発して公園とした。広大な敷地内にはサン・ドニ運河(サン・マルタン運河に繋がる)が流れる。また代表的な建物として、食肉処理場時代の19世紀の鉄骨建築ホールをそのまま流用したグランド・アール(見本市会場)、科学産業都市(博物館)および音楽都市(クラシック用コンサートホール)、ZENITH(ロック・ポップス用コンサートホール)、パリ音楽院現校舎などがある。
- アンドレ・シトロエン公園(15) - 自動車会社シトロエンの工場跡および鉄道敷地跡を整備して公園にした。大きな芝生の広場がある公園で、現代的なデザインである。
- ベルシー公園(12) フランソワ・ミッテラン前大統領により整備された。新大蔵省の建物に面している。付属のベルシー体育館ではスポーツのほかコンサートなども行われている。
[編集] 森
パリには東西2つの大きな森があり、パリ市民の憩いの地となっている。現在はこの森もパリ市の敷地に含まれる。
- ブローニュの森(16) パリの西側に位置する。16区の高級住宅街パッシーやオートゥイユ、近郊の高級住宅市街に面し、また高級社交場でもあるオートゥイユ競馬場なども併設する、高級的な雰囲気の漂う森である。ただし夜暗くなってからはホモセクシャルの人達が集うことでも知られる。
- ヴァンセンヌの森(12) パリの東側に位置する。こちらは庶民的な森として知られ、アフリカ・オセアニア博物館のほか、動物園、農場(パリ唯一の農場)、パーク・フローラル(花公園)などを併設する。中世の砦だったヴァンセンヌ城もある。
[編集] 四大墓地
パリは東西南北に4つずつ著名な墓地を擁し、幾多の著名人が眠っている。
- ペール・ラシェーズ墓地 - 東(20区)
- パッシー墓地 - 西(16区)
- モンパルナス墓地 - 南(14区)
- モンマルトル墓地 - 北(18区)
この他、パリ中心部に位置するパンテオンにもルソーやヴォルテール、ヴィクトル・ユーゴー、デカルトといった偉人たちが埋葬されている。
[編集] 郊外
パリの郊外にはヴェルサイユなど有名な観光地がいくつかあり、そのほとんどはパリから日帰りで往復できる。
16-17区に繋がるセーヌ川下流の西部方面には閑静な高級住宅地が広がっている。逆に18-20区から繋がる北東方面は低所得層の集まる地価の安い郊外となっており、近年は犯罪増加などの問題を抱えている。フランスで単に「郊外(バンリュー)」という場合、こうした地域を婉曲的に指すことが多い。その他の方面の郊外は一般的なベッドタウンとなっている。
またパリより電車で各30分ほど離れた郊外にはいくつかの衛星都市があり、近代建築によって町の機能が整えられている。中でもラ・デファンスには「新凱旋門 グランダルシュ」 (la Grande Arche、またはl'Arche de la Défense。正式名称:La Grande Arche de la Fraternité →直訳:博愛の大アーチ) をはじめ高層ビル群が集中しており、多数の企業オフィスを抱える新都心となっている。
詳しくはイル・ド・フランス地域圏を参照のこと。
[編集] 観光名所
- 建造物
- 凱旋門
- エッフェル塔
- エリゼ宮
- オペラ座
- 廃兵院(アンヴァリッド)
- ノートルダム大聖堂
- オペラ・バスティーユ
- ポンピドゥー・センター
- サクレ・クール寺院
- マドレーヌ寺院
- パンテオン (パリ)
- シャイヨ宮
- 美術館
- その他
[編集] 交通
[編集] 空港
- シャルル・ド・ゴール国際空港 Aéroport Charles de Gaulle パリ北部郊外ロワッシーに位置する、フランスの玄関口である。現在拡張工事が続けられている。3つのターミナル(主なものは2つ)よりなり、TGVの駅も直結している。現在、エールフランス航空と日本航空、全日空が成田空港と関西国際空港、中部国際空港から直行便を運行している他、アエロフロート航空がモスクワ経由便を運航している。
- オルリー空港 Aéroport d'Orly パリ南部オルリー市にある空港。かつては最も主要な空港だったが、シャルル・ド・ゴール空港にその座を譲った。とは言え現在も国際空港として機能しており、主にヨーロッパ近隣諸国のほかアフリカ・中近東方面の便が発着している。Orly-sud(南)とOrly-ouest(西)の2つのターミナルがある。
- ル・ブルジェ空港 Aéroport Le Bourget 最も初期に作られた空港で、1927年にアメリカ人のチャールズ・リンドバーグが世界初の大西洋無着陸横断飛行を行ったときに着陸したのがこの空港である。現在は初夏に行われるパリ・エアショーの会場として知られている。
- ヘリポート Héliport de Paris 15区南部はずれ、セーヌ川沿いのペリフェリック(環状道路)の外側に位置する。ヘリポートはパリ市内の敷地である。パリ市内上空は飛行禁止区域のため、ヘリコプターはパリ市の境界すれすれを飛ぶことが多い。
[編集] 鉄道
- ターミナル駅
- リヨン駅(Gare de Lyon, 12区)リヨン・マルセイユ、、スイス、イタリア方面
- ベルシー駅(Gare de Bercy, 12区)リヨン駅と分岐して近くにある駅。リヨン駅と方面は同じだが、一部の国際夜行列車および乗用車運搬用列車が発着。
- 北駅(Gare du Nord, 10区)ロンドン行ユーロスター、ブリュッセル行TGV、ケルン・アムステルダム行タリス
- 東駅(Gare de l'Est, 10区)ストラスブール、ドイツ方面
- モンパルナス駅(Gare Montparnasse, 15区)ブルターニュ地方、ボルドー方面TGV
- サン・ラザール駅(Gare Saint-Lazare, 8区)西部方面、上野駅のモデルとなった。
- オーステルリッツ駅(Gare d'Austerlitz, 13区)オルレアン・トゥール方面のほか、フランス南部・スペインへ向う夜行列車のほとんどが発着。
市内にはメトロ(地下鉄)とRER(高速地下鉄)がくまなく走っている。14番線まであり、運営はRATP(パリ市営交通)が行っている。2006年にパリ市最南端でトラム (パリ)(路面電車)が開通した。このほか郊外を結ぶトラムがある。
詳しくは以下の各項目を参照。
[編集] 道路
パリの道路の種類には、主に以下のものがある。
- リュー Rue 最も一般的な道。
- ブールヴァール Boulevard (Bd.) 大通り。かつての城壁を壊してその跡を道路として整備したもの。
- アヴニュー Avenue (Av.) 並木通り。主に街の中心となる通り。
- ケ Quai 河岸。
この他、歩行者用の道路パッサージュPassage(アーケードの商店街が多い)や、行き止まり道を示すアンパッスImpasseなどがある。
[編集] 主な道路
- シャンゼリゼ通り (l'Avenue des Champs-Élysées)
- 凱旋門のあるエトワール広場とパリ中心部のコンコルド広場を結ぶ、パリで最も有名な目抜き通り。フランス一周自転車ロードレース「ツール・ド・フランス」はここがゴールとなる。
- サントノレ通り (Rue Saint Honoré)
- 有名ブランドのブティックが並ぶ。
- リヴォリ通り (Rue de Rivoli)
- ルーヴル宮北側に沿って市内最中心部を横断する道路。
- サンタントワーヌ通り (Rue Saint-Antoine)
- リヴォリどおりとバスティーユを結ぶ、パリ中心部横断道路の一つ。
- フォーブール・サンタントワーヌ通り (Rue Faubourg Saint-Antoine)
- バスティーユとナシオン広場を結ぶ通り。
- ヴァンセンヌ大通り (Cours de Vincenne)
- ナシオンからパリ最東端ヴァンセンヌ門までを結ぶ目抜き通り。目抜きと言ってもシャンゼリゼ通りのようには栄えておらず市の外れではあるが、決して寂れてはおらずパリの東の玄関の品格を保った通りである。週2回、パリ最大規模の朝市が開かれる。
- オペラ通り (Avenue de l'Opéra)
- オペラ・ガルニエ劇場からルーヴル宮に向かって伸びる通り。高級ブティックやホテルなどが立ち並ぶが、付近は日本人街でもある。
- グラン・ブールヴァール (Grands Boulevards)
- 1860年のオスマン公によるパリ大改造で生まれたブールヴァールのうち、9-10区の北部沿いの一部の通りを指す。メトロ8番線と9番線が走っている。
- サンジェルマン通り (Boulevard Saint-Germain)
- サンジェルマン・デ・プレからカルチエ・ラタンを通る、左岸の代表的な通り。
- ムフタール通り (Rue Mouffetard)
- パリ5区にある道路であり、多くのレストランや市場などが立ち並んでいる。
[編集] 車の運転に重要な道路
- ヴォワ・エスプレス Voie Express 河岸沿いの一部は、パリを横断する一方通行専用の高速バイパス道路となっている。
- ブールヴァール デ マレショー - パリ市内最外周部を囲んで走る道路のうち、一般道をまとめてこう呼ぶ。ティエールの城壁の後に作られたブールヴァール。ペリフェリックより少し内側に位置する。
- ペリフェリック Périférique - パリ市内最外周部を囲んでいる環状高速道路で、現在はこれがパリ市の境界となっている。(2つの森など一部の区間を除く。これらの区間は地下化されている)
[編集] 姉妹都市・提携都市
[編集] モットー
パリ市民のモットーは Fluctuat nec mergitur (Il tangue mais ne coule pas.)「たゆたえど沈まず」である。
[編集] 経済
フランスにおける経済の中心地であり、多くの大企業や国営企業が本社を構える。また、観光が大きな産業となっているフランスにおいても最も多くの観光客を迎え入れる街である。
[編集] パリに本社を構える企業
[編集] 文化
『芸術の都』の異名を取る様に、絵画から彫刻、ファッション、音楽に至るまで各種芸術の世界的な中心地の1つとして君臨している。特に近年はパリコレクションの開催が代表されるように、フランスを代表する産業の1つであるファッションの分野で世界における情報発信地となっている。また食文化の面でも世界的な中心のひとつである。
[編集] スポーツ
[編集] 施設
- ベルシー体育館
[編集] サッカー
- サンドニ・スタッド・ド・フランス - サッカー競技場
- パリ・サンジェルマン - サッカーチーム
[編集] 競馬
[編集] その他
- ツール・ド・フランス
- パリオリンピック(1900年)
- パリオリンピック(1924年)
[編集] ファッション
上記のような理由でパリに本拠地を置くメゾンは多く、また、高田賢三や川久保玲など、日本を始めとする各国から優秀なデザイナーが渡来し本拠地を構える。
[編集] 本拠を置くブランド
- クリスチャン・ディオール
- シャネル
- ジバンシィ
- コム・デ・ギャルソン
- エルメス
- ケンゾー
- クリスチャン・ラクロワ
- ルイ・ヴィトン
- ジャン=ポール・ゴルチエ
- アニエス・ベー
[編集] 音楽
[編集] クラシック音楽
[編集] 関連項目
- 演奏会場
- オペラ座
- オペラ・バスティーユ
- シャトレ座
- シャンゼリゼ劇場
- シテ・ドゥ・ラ・ミュジーク
- サル・プレイエル
- サル・ガボー
- 音楽教育機関
- 研究機関
- IRCAM
- GRM
- CCMIX
- 演奏団体
[編集] 関連項目
上述までの既出のリンクを除く。
[編集] パリの地理と施設
[編集] パリに関わる出来事
[編集] 外部リンク
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- フランスの地方行政区画
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