ヤーコブス・アルミニウス
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ヤーコブス・アルミニウス(Jacobus Arminius,1560年~1609年10月19日,ヤーコブ・ハルメンセンともいう)はオランダの神学者。
1576年からライデン大学に学び、1582年にはジュネーブに留学してテオドール・ド・ベーズの講義を聴講した。1588年からオランダ改革派として活動し、カルヴァンの予定説を攻撃したコールンヘルトを反駁するために研究を進めるうちに、「神は万人に救いを提供し、神の恩寵を受け容れるかどうかは各人の自由意志に任されている」という、カルヴァンの教説をやわらげる結論に到達した。1603年、彼がライデン大学神学部の教授に招聘されるにおよんで、オランダ共和国を揺るがすほどの神学論争が巻きおこる。論争が未解決のうちに1609年、アルミニウスが没し、その後任に彼の弟子であるフォルチウスが任命されたのに対して、自ら神学者をもって任じていたイギリス国王ジェームズ1世は憤り、アルミニウスの著書を焼き捨てるよう公然と命じた。そのことは、オランダ国内の対立をいっそう深刻なものとし、少数派であったアルミニウス派(レモンストラントRemonstrant)は、残忍な迫害を加えられた。