ライデン大学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ライデン大学(Universiteit Leiden)は1575年創設のオランダ最古の国立大学。オランダ独立戦争(80年戦争/1568年-1648年)で、ライデン市は長期にわたりスペイン軍に包囲されたが、オラニエ公ウィレムの救援で解放された。ウイレムは市民たちの勇敢な抵抗運動を称えてライデン大学の創設を許した。その後、ライデン大学はカルヴァン派神学の中心となった。一時アルミニウス主義をめぐる宗教論争と学者の迫害などはあったが、対抗改革に対する学芸保護の姿勢のために17~18世紀には、人文学、天文学、解剖学、植物学、物理学、化学などの部門をもつヨーロッパで有数の大学となった。
1855年、日本学科が設立されたことを始まりとし、ライデン大学は今日なお欧州でも指折りの日本研究及び日本語教育の拠点としても知られている。西周・榎本武揚・津田真道も1862年から1865年まで留学し、1851年にライデン大学最初の日本語教授になっていたJ・J・ホフマン(1805-1878)は彼らからも日本語を学んでいる。ここにある国立民俗学博物館には展示しきれないほどの、シーボルトが持ち帰った貴重なコレクションが眠っている。
植物園が1587年に大学施設の一部として設置され、樹木の中には樹齢350年というキングサリの老木もある。1593年にチューリップをオランダにもたらしたC・クルシウスは、ライデン大学初の植物学教授になった。シーボルトが日本から持ち帰ったイチョウやカエデ、紫陽花など500種類の植物が植えられている。
また、ジンが発明された大学としても有名。
[編集] ライデン大学の学生・教授であった人々
- ヤーコブス・アルミニウス(神学者)
- ヨセフ・ユストゥス・スカリゲル(古典学者、ユリウス通日)
- フーゴー・グローティウス(法学者、”国際法の父”)
- レンブラント・ファン・レイン(画家)
- クリスティアーン・ホイヘンス(物理学者)
- ヘルマン・ブールハーフェ(臨床医学)
- オットー・フォン・ゲーリケ(物理学者、マグデブルグの半球)
- フランシス・シルヴィウス(医者・解剖学者ジンの発明)
- エンゲルベルト・ケンペル(博物学者・医者)
- ベルナルド・ド・マンデヴィル(『蜂の寓話』の作者)
- ポール・アンリ・ディートリッヒ・オルバック(哲学者)
- ジェームズ・ボズウェル(伝記作家)
- ユーゴー・ド・フリース(植物学)
- ヨハネス・ファン・デル・ワールス(物理学者)
- ヨハン・ホイジンガ(中世史家)
- ヘンドリック・ローレンツ(理論物理学)
- ピーター・ゼーマン(物理学、ゼーマン効果)
- ヘイケ・カメルリング・オネス(低温物理学、超伝導の発見)
- エドガー・ダイクストラ(コンピュータ科学、ダイクストラ法・セマフォ)
- ヤン・ティンバーゲン(経済学者、ノーベル経済学賞受賞)
- ポール・バーホーベン(映画監督)
- ヤン・オールト(天文学、オールトの雲)
- 宮崎恒二(国立大学法人東京外国語大学理事・副学長、国際学術戦略本部長、アジア・アフリカ言語文化研究所(AA研)教授)
など
[編集] 外部リンク
コインブラ・グループ (ヨーロッパの研究大学連合) | |
---|---|
アイルランド・ゴールウェイ | イェーナ | ウプサラ | ヴュルツブルク | エディンバラ | オーフス | オーボ・アカデミー | オックスフォード | カレル | グラーツ | グラナダ | ゲッティンゲン | ケンブリッジ | コインブラ | サラマンカ | シエナ | ジュネーヴ | タルトゥ | テッサロニキ・アリストテレス | トゥルク | トリニティ・カレッジ | ハイデルベルク | パヴィア | パドヴァ | バルセロナ | ブダペスト | ブリストル | フローニンゲン | ベルゲン | ボローニャ | ポワティエ | モンペリエ | ヤギェウォ | ライデン | リヨン | ルーヴェン・カトリック | ルーヴァン・カトリック |
ヨーロッパ研究大学連盟 (LERU) |
---|
アムステルダム | エディンバラ | オックスフォード | カロリンスカ | ケンブリッジ | ジュネーヴ | ストラスブール第1 | チューリッヒ | ハイデルベルク | パリ第6 | パリ第11 | フライブルク | ヘルシンキ | ミュンヘン | ミラノ | ユトレヒト | ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン | ライデン | ルンド | ルーヴェン・カトリック |