ユーゲント・シュティール
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ユーゲント・シュティール(独:Jugendstil)
- ドイツで刊行された雑誌「ユーゲント」に由来し、ドイツ圏の世紀末芸術の傾向を指す語。(フランス・ベルギーのアール・ヌーヴォーに対応する。本項で記述)
- アーツ・アンド・クラフツ以降の世紀末美術、ガウディの建築など世紀末を中心とした各国の美術の傾向を総称する用語。(この場合は広義のアール・ヌーヴォーと同じ意味になる。同項目を参照)
ユーゲント・シュティールは、ドイツで刊行された雑誌「ユーゲント」(Die Jugend)に代表されるドイツ圏の世紀末美術の傾向を指す。(Jugendは英語のyouthに相当し、Jugendstilを英訳するとyouth styleということになる)「青春様式」と表記されることもある。
1892年にはフランツ・フォン・シュトゥックらによるミュンヘン分離派が結成され、後のウィーン分離派にも影響を与えた。1890年代-1910年頃までのミュンヘンはドイツの芸術運動の中心地であった。
「ユーゲント」は1896年にミュンヘンで刊行され、イラストの多い大衆的な雑誌であった。「ユーゲント」のイラストにはフランスのアール・ヌーヴォーの影響が見られるが、都会的で若々しい感覚のイラストとして評判になり、「ユーゲント・シュティール」(ユーゲント風)という言葉が生まれた。やがてミュンヘンやベルリンを中心にした若い芸術家による芸術運動の傾向全体を指して「ユーゲント・シュティール」と呼ぶようになった。いわばドイツにおける世紀末美術、ドイツ版アール・ヌーヴォーである。
[編集] 代表的な作家
- ミュンヘン分離派の中心人物で、建築家、肖像画家として有名であった
- アウグスト・エンデルde:August Endell
- ベルギー生まれの建築家。世紀末美術に大きな影響を与え、ユーゲント・シュティールは別名ベルギー様式、ヴェルデ風とも呼ばれた。ヴァン・デ・ヴェルデがワイマールに設立した美術学校は後にバウハウスになった。
ウィーン分離派の芸術家も、ユーゲント・シュティールの動向に含めて論じられることが多い。
- ダルムシュタットの芸術家村(マチルダの丘)
- ダルムシュタットの自邸はユーゲント・シュティール風。後にドイツ工作連盟(Deutscher Werkbund)に参加し、モダンデザインを開拓した
[編集] その他
- 1897年から1914年までドイツの租借地であった青島にも典型的なユーゲント・シュティールの建築が残っているという。
- 日本でもドイツ出身の建築家ゲオルグ・デ・ラランデ(1872-1914年)などがユーゲント・シュティール風の作品を造った。取壊されたものも多く、典型的なものはあまり見当たらないが、デ・ラランデの風見鶏の家(神戸市)はよく知られる。
[編集] 外部リンク
- 「ユーゲント」の紹介 早稲田大学図書館
- The Vienna Secession Home