ユージン・サーナン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ユージン・アンドリュー・サーナン(ジーン・サーナンとも。Eugene Andrew Cernan、1934年3月14日 - )は、アメリカ合衆国の宇宙飛行士。
1966年ジェミニ9Aの副操縦士、1969年5月アポロ10号の月着陸船のパイロット及び1972年12月アポロ17号の船長として、合計3度の宇宙飛行を経験している(アポロ17号はアポロ計画最後の航行であり、ユージンは「月面着陸した最後の人類」"the last man on the moon"となった。)。また、ジェミニ12号、アポロ7号、アポロ14号の各ミッションでは、予備のクルーであった。
ユージンはイリノイ州シカゴに生れ、同州メイウッド(シカゴの西にある村)で育った。1956年に電気工学で理学士を取得し、パーデュー大学を卒業した後は、パーデューにある海軍予備役将校訓練隊 (Naval Reserve Officers Training Corps) を通じて海軍将校に任命され、海軍のジェット戦闘機のパイロットとなった。また、Naval Postgraduate School からは、航空工学の分野で修士号を取得している。
1976年ユージンは、海軍(大佐)及びNASA の職から退き、民間企業へと転出した。
2度に渡って月旅行を行った宇宙飛行士は、ユージンのほかに、ジム・ラヴェルとジョン・ヤングしかいない。また、ユージンは、たった12人の月面歩行を行ったことのある人類の一人でもある。
ユージンは、アポロ10号で月軌道を周回し、アポロ17号では月面着陸を果した。アポロ17号のときは、クルーのハリソン・シュミットとともに3度の船外活動で、延べ約22時間に及ぶ月面探査を行った。この3度の船外活動のうち最初のものは、アポロ11号搭載のモジュール船外でニール・アームストロング及びエドウィン・オルドリンが活動した時間の3倍もの長さに達するものである。この船外活動では、月面探査車で35 km 以上を走破し、月の成り立ちを解く鍵となる貴重な地質学上の標本を採集した。
ユージンは、アポロ計画の記憶を元に、『The Last Man on the Moon』を著した。
[編集] エピソード等
- 月面に娘の名前のイニシャル TDC (Tracy Dawn Cernan) を記した。
- 信条:不可能という文字を自らの辞書からなくす。
- イリノイ州リバーグローブのトリトン大学のキャンパスには、サーナン船長の偉業を称えて、その名にちなむプラネタリウム、サーナン地球・宇宙センター (Cernan Earth and Space Center) がある。
- 月面歩行を行った最初の人間(アームストロング)と最後の人間(サーナン)はともにパーデュー大学の卒業生である。
[編集] 外部リンク
- Biographical data from US National Aeronautics and Space Administration
- Cernan Earth and Space Center
カテゴリ: 1934年生 | アメリカ合衆国の宇宙飛行士 | シカゴ | チェコ系アメリカ人 | アメリカ海軍 | スロバキア系アメリカ人 | 月面歩行者