ヨアヒム・レーヴ
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ヨアヒム・レーヴ(Joachim Löw、1960年2月3日 - )は、ドイツ南部のシュヴァルツヴァルト出身の元プロサッカー選手、現ドイツ代表監督。現役時代のポジションはFW。
[編集] 経歴
[編集] 選手時代
生まれ故郷に程近いSCフライブルクで、自身のプロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせる。その後はVfBシュツットガルト等ドイツ国内のクラブを渡り歩き、1989年からはスイスのFCシャフハウゼンに移籍。1995年、スイスのFCフラウエンフェルトで現役生活を終える。選手としては、特に輝かしい成績を残す事も無く引退した。
- SCフライブルク(ドイツ) 1978-1980、1982-1984、1985-1989
- VfBシュトゥットガルト(ドイツ) 1980-1981
- アイントラハト・フランクフルト(ドイツ) 1981-1982
- カールスルーエSC(ドイツ) 1984-1985
- FCシャフハウゼン(スイス) 1989-1992
- FCヴィンタートゥール(スイス) 1992-1994
- FCフラウエンフェルト(スイス) 1994-1995
[編集] 監督時代
選手引退の翌年1996年に、ドイツ・ブンデスリーガのVfBシュツットガルトの監督に就任。就任した96-97シーズンでクラシミール・バラコフやジョヴァネ・エウベルにフレディ・ボビッチ等で攻撃的なチームを作り、リーグ4位とDFBカップを手にした。翌97-98シーズンにもリーグ4位とUEFAカップウィナーズ・カップで準優勝をするが、レーヴはVfBシュツットガルトを解任される事となる。
98-99シーズンにはトルコリーグのフェネルバフチェに、99-00シーズンは当時ブンデスリーガ2部だったカールスルーエSCの監督に就任するも、カールスルーエでは周囲の期待とは裏腹にクラブ史上初の3部へ降格させてしまう。2001年には再びトルコに渡りアダナスポルの監督に就任するが、僅か1年でクラブを去る。
転機は01-02シーズン。レーヴは、オーストリア・ブンデスリーガのFCチロル・インスブルック(現・FCヴァッカー・チロル)の監督に就任。就任したシーズンで、いきなりオーストリア・ブンデスリーガで優勝を成し遂げる。03-04シーズンでは同じオーストリア・ブンデスリーガのFKアウストリア・ウィーンで1年間指揮を取り、2004年遂に母国ドイツ代表のヘッドコーチに就任する(余談だが、一説にはこのポストに現浦和レッズ監督のホルガー・オジェックが就任するとの話もあった様だ)。ヘッドコーチ就任後は当時のユルゲン・クリンスマン監督の片腕として主にチーム戦術の決定及び戦術トレーニングを担当し、チームを自国ドイツ開催だった2006 FIFAワールドカップドイツ大会3位に大きく貢献した。そして2006年ドイツ大会終了後にクリンスマン監督が辞任するのに伴い、監督に就任した。
- VfBシュトゥットガルト(ドイツ) 1996-1998
- フェネルバフチェ(トルコ) 1998-1999
- カールスルーエSC(ドイツ) 1999-2000
- アダナスポル(トルコ) 2001
- FCチロル・インスブルック(オーストリア) 2001-2002
- FKアウストリア・ウィーン(オーストリア) 2003-2004
- ドイツ代表ヘッドコーチ 2004-2006
- ドイツ代表監督 2006-
(国家名は、現在の呼称で表記)
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