ヨン・ダール・トマソン
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ヨン・ダール・トマソン(Jon Dahl Tomasson、1976年8月29日 - )は、デンマーク、コペンハーゲン出身のサッカー選手。ポジションはフォワード。
2002 FIFAワールドカップで4ゴールを決め、大会得点ランキングの4位になった(ゴール数では3位だが、5ゴールを決めたのがドイツ代表のミロスラフ・クローゼとブラジル代表のリバウドの2人がいたため)。代表では、およそ2試合につき1得点のペースでゴールを生み出している。
ワールドカップでの活躍を見込まれ移籍したACミランではスーパーサブと言う立場ながら、出場するたびにゴールを決めるとまで言われるほどの鋭敏な得点感覚を発揮。しかしさらなる出場機会を求めてか04-05シーズン終了後はドイツ・ドイツ・ブンデスリーガの古豪、VfBシュトゥットガルトに移籍した。
パスを受けてからの動き出しが非常に速く、ゴールマウスを切り開いていくというプレースタイルから「ゴールの外科医」という愛称がある。
2002 FIFAワールドカップ時の和歌山合宿では、心温まるエピソードがあり、ネットを中心に話題となった。しかし、これだけの感動のエピソードにも関わらず、地元のメディアや新聞等はどこも取り上げておらず、地元の和歌山県民ですら知らない人が多い。発端となったネットの記事を書いた雑誌の記者と思われる人物もなぜかこの記事を理由無く削除しており、その勤めていた会社を辞めていること等からもこの人物の信頼性も低い。またトマソンもこのエピソードについては何も語っておらず、むしろ日本を批判するような内容を海外メディアで語ったとも言われている。どちらにしろ、ネットで話題になり、その事実の確証も取らずに広がってしまったものであり、この話の信憑性は薄いと思われる。 トマソンと少年[[1]] また2006年4月には、このストーリーを綴った本『少年とストライカーと約束』が双葉社より出版された。
[編集] 経歴
- 代表
- クラブ
- 1998年-1999年 オランダリーグ優勝獲得。(フェイエノールト)
- 2001年-2002年 UEFAカップ優勝。(フェイエノールト)
- 2002年-2003年 UEFAチャンピオンズリーグ優勝。 (ACミラン)
[編集] 所属チーム
- SCヘーレンフェーン(オランダ)1994年-1997年
- ニューカッスル・ユナイテッド(イングランド)1997年-1998年
- フェイエノールト(オランダ)1998年-2002年
- ACミラン(イタリア)2002年-2005年
- VfBシュトゥットガルト(ドイツ)2005年-2007年
- ビジャレアルCF(スペイン)2007年-
ビジャレアル - 2006-2007 |
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