ラルフ・ベア
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ラルフ・H・ベア(Ralph H. Baer、1922年3月8日 - )は、ドイツ生まれのアメリカ人発明家であり、ゲーム、特にコンピュータゲームへの貢献で知られている。2006年、ベアはアメリカ国家技術賞を受賞した。ゲーム機の発明者である。
若いころ、ベアはユダヤ人であったために通常の学校には通えず、ユダヤ人学校に行かなければならなかった。彼の父は当時、靴職人だった。水晶の夜の2ヵ月前、彼は家族と共にドイツを脱出。アメリカでは、彼は独学で勉強しつつ週給12ドルで工員として働いた。1940年、National Radio Institute を卒業してラジオ修理工となった。1943年、第二次世界大戦のために軍に召集され、ロンドンの米陸軍本部の情報部門で働いた。
1949年、ベアはシカゴの American Television Institute of Technology で当時としては珍しいテレビ工学の学士号を得た。彼は、エレクトロニクス企業の工場で働いた後、Sanders と共に 1958年、自らの会社を設立した。彼は引退する 1987年まで同社に留まった。
[編集] 発明
ベアは、世界初のゲーム機ブラウンボックスの開発を主導したことでよく知られている。ブラウンボックスはマグナボックス社に売られると Magnavox Odyssey と名づけられ、1972年に発売された。ベアはテレビに関する技術を身につけていたことから、1966年に軍需企業の Sanders Associates 社(現在はBAEシステムズの一部)でこれを開発したのである。多くの企業がゲーム開発に懐疑的だったころ、それがマグナボックスにライセンス供与され、一時的に Sanders Associates 社は高収益を上げた。
ベアは世界初の家庭用テレビ向けライトガン(光線銃)とゲームを開発した(Shooting Gallery)。また、「サイモン」という電子的パターンマッチングゲームも発明した。これは1970年代終盤から1980年代にかけて大人気となった。1983年以降、彼は MicroPROS Technology Solutions 社の Bob Pelovitz と組み、おもちゃやゲームのアイデアを発明してはマーケティングしている。
2005年、アメリカのゲーム専門チャンネル G4 のビデオゲーム賞 Legend Award を受賞した。
ベアはIEEEの生涯名誉会員でもある。
[編集] 外部リンク
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