ランサナ・コンテ
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ランサナ・コンテ(Lansana Conté, 1934年- )は、ギニアの政治家で大統領。首都のコナクリ近郊生まれで、スースー族出身。
ギニアがフランス統治下にあった1955年、フランス軍入隊。のちアルジェリア独立戦争に従軍し、その後はギニア西部ボケ地区軍司令官に就任し、大佐に任命された。長期独裁政権を敷いた初代大統領セク・トゥーレが死去し、国家の最高指導者としてのカリスマが国家から失われ動揺が広がっていた1984年4月3日、コンテは無血クーデターにより権力を掌握、大統領に就任した。
大統領就任後、幾度と無く反コンテ・クーデターを切り抜け、事実上の独裁与党統一前進党を率い独裁政権を維持。1993年、ギニア初の複数政党制による大統領選で当選(得票率51.7%)し、その後も再選を続けた。健康問題の浮上や、新たなる反政府運動などがささやかれ、一時期は死亡説さえ流れたが、自ら否定した。
長期政権への批判を内外から受ける中、1998年、2003年に行われた大統領選には、いずれも当選。しかし、選挙結果や、政治手法については引き続き多くの議論が交わされている。 2005年1月にはコナクリ市内を走行中のコンテの車列に向け、発砲事件が発生し政情不安が露呈した。 また、2006年1月に発生したストライキの際には、コンテと労働組合との間で和解に持ち込むことに成功。しかし、強権的政治が揺らぎかねない手法を採ったことで、逆に、従来得てきた政治的な求心力が低下する恐れも想定されている。なお、ストライキが解消した後も治安の悪化が深刻化したことから、翌2月には戒厳令を敷き、国内の引き締めを図っている。