ラースロー・ヴィドツキー
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ラースロー・ヴィドツキー、ヴィドフスキ・ラースロー(Vidovszky László, 1944年2月25日ベーケーシチャバ- )はハンガリーの作曲家、ピアニスト。1980年代にミニマル形式の作曲を開始した。
1959年、セゲド音楽院でサトマーリ・ゲーザ Géza Szatmári に作曲を師事、1962年から1967年にかけてブダペスト音楽院でファルカシュ・フェレンツ Ferenc Farkas に師事した。1970年から1971年にかけてパリで学び、実験音楽家の集い(Groupe des Recherches Musicales)やオリヴィエ・メシアンの作曲のクラスに参加した。
1970年、イェネイ・ゾルターン Zoltán Jeney、シャーリ・ラースロー László Sáry、エトヴェシュ・ペーテル Péter Eötvös、シモン・ゾルターン Albert Simon と共にブダペスト新音楽スタジオを共同設立し、以来、作曲家及び演奏家として精力的な活動を行っている。
1972年から1984年にかけて、ヴィドツキーはブダペスト音楽院教員養成科で音楽理論を教えた。1984年、ハンガリー南部に位置するペーチ大学音楽学科の学科長に抜擢され、1988年まで務めた後、1996年、同大学に新しく設立された芸術学部の初代学部長に任命された。
1983年にエルケル賞、1992年にバルトーク・パーストリ賞を受賞。1996年には、Merited Artist of the Hungarian Republic に指名された。