ルクソール事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ルクソール事件とは、エジプトの著名な観光地であるルクソールにおいて、1997年にイスラム原理主義過激派のテロリスト集団が外国人観光客に対し行った無差別殺傷テロである。また別名をエジプト外国人観光客襲撃事件ともいう。
この事件により日本人10名を含む外国人観光客61名とエジプト人警察官2名の合わせて63名が死亡、85名が負傷した。なお犯人6名は全て射殺された(実際にはもっと多かったという説もある)。
目次 |
[編集] 事件の背景
イスラム教徒が多数を占めるエジプトにおいて、共和制成立以降は政教分離を実施していた。それを快く思わないイスラム原理主義勢力は、1981年に当時のエジプトの指導者であったサダト大統領をイスラエルと国交を結んだ裏切り者として暗殺するなどのテロを繰り返してきた。
その後、1992年ごろからエジプト国内ではイスラム原理主義者による政府の役人や外国人観光客らを標的にしたテロが続発していた。観光客を標的にしたのはエジプトの重要な歳入である観光収入をテロによって激減させ、経済に打撃を与え、それに伴う政府への不満をあおって政府を転覆させ、イスラム原理主義政権を樹立させるという残虐な企みからであった。
事実、観光客は激減したため、エジプト政府は1995年から大規模な取締りを行っていたが、1997年9月18日にはカイロのエジプト考古学博物館の前に止まっていた観光バスが襲撃され、ドイツ人観光客ら10名が死亡し、エジプト人15名が負傷するテロが起きた。この事件の被疑者に対して10月30日に死刑が宣告されており、このことに報復する目的で、1993年の世界貿易センタービル爆破事件の首謀者、オマル・アブドル・ラーマンが組織したイスラム原理主義テロ集団イスラム集団が計画したのが、ルクソールにおけるテロであった。
[編集] 事件の概要
1997年11月17日午前9時(現地時間)ごろ、ルクソールの王家の谷にある、ハトシェプスト女王葬祭殿の前にて、外国人観光客ら200名に向けて待ち伏せていた6名のテロリスト(実際にはもっと多かったという説もある)が、守衛を襲撃した後、無差別に乱射し銃弾がなくなると短剣で襲ったという。この襲撃でスイス人、ドイツ人、日本人(観光客9名、添乗員1名)ら観光客61名が殺害された。
犯人らはタクシーを強奪し(犯人らは砂漠を徒歩で渡ってきて犯行に及んだため逃走手段がなかった)、さらには観光バスの運転手を脅迫して逃走しようとした。しかし、収入の糧である観光客を殺傷した犯人を逃がすまいと怒り狂った住民の一部が阻止しようとしたため警官隊に行く手を阻まれ、犯人らはバスから降りて銃撃戦をしながら逃走したが、最終的には全員が射殺された。
[編集] 事件の影響
テロのために、エジプトの外国からの観光客減少に拍車がかかってしまった。相次ぐテロに対する責任を負わせるため、エジプトのムバラク大統領は治安担当の内務大臣を事実上更迭した。また当局は更なる掃討作戦を実行したため、エジプトでは大規模なテロ事件の発生は、この事件以降沈静化したとみられる。しかしながら、現在でもイスラム過激派はエジプト国内で潜在化しているともいわれている。
[編集] 外部リンク
カテゴリ: イスラム過激派テロ事件 | テロ事件 | エジプトの事件