ルーゴン・マッカール叢書
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ルーゴン・マッカール叢書 (Les Rougon-Macquart) は、フランスの自然主義作家エミール・ゾラのライフワークである。全20作から構成される。
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[編集] 意義
(1)本叢書はフランスの文豪エミール・ゾラのライフワークであり、ゾラの唱えた自然主義文学理論の実践である。ゾラはダーウィンの進化論やクロード・ベルナール「実験医学研究序説」(1865年)の影響を受け、自然主義文学を構想・理論化する。その具体的実践として本叢書が企画・執筆された。理論的論文としては後日「実験小説論」が執筆される(1880年)。
(2)本叢書はバルザックの「人間喜劇」に匹敵する文学的世界を築き上げようとの試みである。当初全10巻の予定で構想されたが、のちに拡大し、最終的には全20巻となった。バルザックと同様の人物再登場手法を採用しているが、それぞれ作品のつながりは人間喜劇の場合に比べるときわめて弱く、内容的関連はほとんど存在しない。
(3)「第二帝政下における一家族の自然的・社会的歴史(histoire naturelle et sociale d'une famille sous le Second Empire)」という副題から理解されるように、本叢書はフランス第二帝政下の社会をすべて描き尽くそうとする野心的な試みでもある。登場人物も1200人を数え、代議士・国務大臣(ウージェーヌ・ルーゴン)から、パリの洗濯女(ジェルヴェーズ・マッカール)まで、当時のフランスにおけるほとんどすべての社会層に及ぶ。
[編集] 評価・変遷
- 構想の時点(1869年)ではいまだ第二帝政が継続中であったため、叢書はいわば「同時代の記録」となるはずであったが、第1作「ルーゴン家の誕生」の執筆中に普仏戦争が勃発し、第二帝政が崩壊した。そのため、当初の予定を変更して、叢書はフランス第二帝政全体を、その開始から終結まで包括的に描くものとなった。
- 出版当初はほとんどといっていいほど売れなかった。当時フローベールはジョルジュ・サンドへの書簡で、「ゾラの新刊『プラッサンの征服』は出版後6ヶ月かかってフランス全土で1700部しか売れなかった」と報告している。
- ところが、第7作「居酒屋」が新聞に連載されるとすさまじい反響を巻き起こし、フランス社会をまっぷたつにする論争が起こった。そして読者からの非難が集中し、新聞連載自体を中止せざるを得なくなってしまった。ゾラはやむなく別の雑誌に連載を続け、翌年単行本として出版すると、当時としては異例の5万部を売り尽くした。
- その批判であるが、要するに「あまりに労働者階級を露悪的に描きすぎている。こういう小説はむしろ下層階級をおとしめるものだ」というものであった。ゾラ自身は執筆前に綿密な取材を重ねており、むしろパリの下層階級のあるがままの姿を描いていたのだが、それが当時の読書層(ブルジョワ階級)にはショッキングな事実だったということである。
- いずれにせよ、「居酒屋」以降はフランスにおいて自然主義文学の黄金時代が到来することとなった。
- ゾラは「居酒屋」の印税でパリ郊外のメダンに別荘を買い求め、そこにはモーパッサン、ユイスマンスなどが集うようになった。
- その後も「ナナ」「ごった煮」「ボヌール・デ・ダーム百貨店」「ジェルミナール」などを発表。第14作「制作」を発表すると、それが原因で少年の頃からの親友だったセザンヌと絶交状態になる。それはセザンヌが、最後には精神を病み、自殺してしまう主人公のモデルとされたからである
- 第15作「大地」を出版すると、「居酒屋」のときと同様な(作品の不道徳さに関する)ゾラ批判が起こる。かつての「居酒屋」に対する批判は自然主義文学の勃興をもたらしたが、「大地」に対する批判は自然主義文学の終焉をもたらすこととなった。ただ、そのころにはゾラ自身、自然主義的な作風から移行しつつあった。
- 最終巻「パスカル博士」を発表したころには、ゾラは事実を生々しく描く自然主義よりも、むしろ理想主義的傾向を強めていた。もはやゾラはルーゴン・マッカール叢書におけるような自然主義を離れ、「三都市叢書」「四福音書」の執筆に向かうことになる。また、ドレフュス大尉の冤罪を確信し、その再審運動に尽力したのも、理想を追求するゾラの誠実さにもとづくものといえる。
[編集] 影響
当時、ロシア文学と共に世界の文学シーンを主導していたフランスにおける自然主義の勃興は、当然のように世界中に影響を与えることとなった。
- イタリアでは、ジョヴァンニ・ヴェルガらがイタリア・ヴェリズモ文学(真実主義)を創始。中編小説「ネッダ」を嚆矢とし、「カヴァレリーア・ルスティカーナ」を代表作とする。ヴェルガはまた、イタリア版ルーゴン・マッカール叢書ともいうべき連作小説「イ・ヴェンティ(敗者たち)」を構想するが、「マラヴォリア家の人びと」「マストロ・ドン・ジェズアルド」まで発表したところで中絶してしまった。
- アメリカでもセオドア・ドライサーが「シスター・キャリー」「アメリカの悲劇」を、スティーヴン・クレインが「赤い武功章」を発表した。またジョン・スタインベックの「怒りの葡萄」も、その内容・作風から自然主義文学とされうる。
- 日本ではやや事情が異なり、すでに大正時代にゾラの諸作品が翻訳されていたが、日本の自然主義作家はゾラの作品を表層的に捉えるにとどまり、ただの暴露小説・私小説に堕してしまった。詳細は「自然主義」の項目を参照。
[編集] 作品
(詳細はエミール・ゾラの項目を参照)
- 『ルーゴン家の誕生』"La Fortune des Rougon", 1870年
- 南仏の架空の町プラッサンを舞台に、ナポレオン派と共和派の争いを、少年シルヴェールの悲恋を絡めて描く。
(作成者註:ルーゴン・マッカール家第三世代までの顔見せ興行的な面があるので、必読の書です)
- 『獲物の分け前』"La Curée", 1871年
- ルーゴン家の三男、アリスティド(サッカール)が、パリの再開発に伴う土地の投機に狂奔する。
- 『パリの胃袋』"Le Ventre de Paris", 1873年
- パリの市場を舞台に、ギニアから脱走してきた青年フロランは監督官として働き者との評判を取るが、やがて周囲に疑われるようになり、フロランの義妹リザ(マッカールの娘)の密告で共和主義者として逮捕される。
- 『プラッサンの征服』"La Conquête de Plassans", 1874年
- プラッサンにやってきたフォージャ神父は、ムーレ家の支配からはじまり、プラッサン全体の支配を確立するが、発狂したムーレが自宅に放火し、フォージャ一家を焼き殺してしまう。
- 『ムーレ神父のあやまち』"La Faute de l'Abbé Mouret", 1875年
- 狂信的な神父セルジュ・ムーレはパラドゥーで野性的な少女アルビーヌと出会い、愛し合うようになるが、セルジュは信仰に悩み、やがてアルビーヌは死んでゆく。
- 『ウージェーヌ・ルーゴン閣下』"Son Excellence Eugène Rougon ", 1876年
- 未訳
- 『居酒屋』"L'Assommoir", 1876年
- ゾラ最大の出世作。パリに出てきた洗濯女ジェルヴェーズ・マッカールが死にものぐるいで働き、自分の店を持つまでになるが、やがて酒におぼれ、破滅してゆく様を描き、当時のフランス社会に大反響をもたらした。
- 『愛の一ページ』"Une page d'amour", 1878年
- 息抜きの一作。エレーヌ・ムーレは医師と恋に落ちるが、娘のジャンヌはそのために嫉妬に駆られて死んでゆく。パリの情景。
- 『ナナ』"Nana", 1879年
- ジェルヴェーズの娘アンナ(ナナ)が舞台女優から高級娼婦になり、周囲のブルジョワ・貴族を次々に破滅させてゆく。
- 『ごった煮』"Pot-Bouille", 1882年
- プラッサンから出てきたオクターヴ・ムーレが、その周囲のブルジョワ婦人と次々に情交を重ねてゆく。当時のブルジョワの風俗を戯画的に描く。
- 『ボヌール・デ・ダム百貨店』"Au Bonheur des Dames", 1883年
- 前作の主人公オクターヴが近代的百貨店ボヌール・デ・ダームの経営者として、周囲の小規模な商店を破滅させながら発展してゆく。ドゥニーズ・ボーデュとの恋。
- 『生きる喜び』"La Joie de Vivre", 1884年
- 息抜きの一作。ポーリーヌ(リザの娘)が、海辺のまちで健やかに育ち、ひっそりと暮らしてゆく。当時フランスでも隆盛を誇ったショーペンハウアー哲学に対するゾラの文学的回答。
- 『ジェルミナール』"Germinal", 1885年
- 炭坑における労働者の悲惨な生活、その生活苦から労働者が立ち上がりストライキを起こすが、そのストライキが敗北に終わるまでを描いた大作。主人公はジェルヴェーズの息子エチエンヌ・ランティエ。
- 『制作』"L'Œuvre", 1886年
- 画家クロード・ランティエは、理想の女を描こうと苦闘するが、やがて敗れて精神を病み、自殺する。妻のクリスティーヌも心を病む。
- 『大地』"La Terre", 1887年
- 軍隊を退役してきた農民ジャン・マッカールはフーアンの姪フランソワーズと結婚するが、フランソワーズは姉リーズともみ合いになり死に、ジャンは軍隊に戻る。フーアン家の財産争い。
- 『夢』"Le Rêve ", 1888年
- シドニーの娘アンジェリックが、貴族の息子フェリシアンと恋に落ちる。当初反対していたフェリシアンの父もやがてアンジェリックの結婚を認めるが、彼女は結婚式の最中に息を引き取る。
- 『獣人』"La Bête Humaine", 1890年
- 休暇中の機関士ジャック・ランティエは、列車内での殺人を目撃する。ジャックはやがて犯人ルーボーの妻セヴリーヌと情を通じるが、彼女を衝動的に殺害する。
- 『金(かね)』"L'Argent", 1891年
- 土地投機に失敗したアリスティドは、「ユニヴァーサル銀行」を開業。バブル経済に乗って当初は破竹の勢いを示すが、やがて破綻する。
- 『壊滅』"La Débâcle", 1892年
- 無学な農民のジャンは軍隊でインテリ青年モーリスと親友になる。普仏戦争の敗北・第二帝政の崩壊、パリ・コミューンの混乱の中で、ジャンはモーリスを殺害してしまう。
- 『パスカル博士』"Le Docteur Pascal", 1893年
- パスカル・ルーゴンは故郷のプラッサンで一族の記録をとどめ、新しい遺伝理論の構築をはかる。彼は姪クロチルドと愛し合うが、心臓病で急死する。記録はパスカルの母フェリシテが焼き払う。