ロマノス4世ディオゲネス
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ロマノス4世ディオゲネス(ギリシア語:Ρωμανός Δ' Διογένης (Rōmanos IV Diogenēs)、? - 1072年)は、東ローマ帝国ドゥーカス王朝の第3代皇帝(在位:1068年 - 1071年)。
即位前は、カッパドキアで帝国の将軍を務めていた。1067年のコンスタンティノス10世ドゥーカスの死後、皇后のエウドキア・マクレンボリティサが女帝として即位したが、国民や貴族層はセルジューク朝の侵攻により、強力な軍事政権の成立を望んでいた。このため1068年、エウドキアはロマノスと結婚し、彼を皇帝として新たに即位させた。これが、ロマノス4世である。
即位後、ロマノス4世は北方から侵攻してきたべチェネグ族やロシア人、ノルマン人と和睦して彼らを傭兵として取り込み、軍備を増強したうえでセルジューク朝と会戦し、ある程度の戦果を得た。
1071年にはロマノス4世自らが6万の兵を率いて親征した。兵力の少ないセルジューク朝は和議を望んでいたが、ロマノスはこれを拒否してマンズィケルト(マラズギルト)にてセルジューク軍と戦った。帝国軍は数こそ多かったものの傭兵の寄せ集めで練度が低く、味方の裏切りもあって大敗を喫し、ロマノスも捕虜となってしまった。ローマ皇帝が捕虜となったのは、3世紀のウァレリアヌス以来のことであった。この敗戦で小アジアはトルコ人に占領され、後のオスマン帝国による東ローマ帝国滅亡の遠因となった。
一方、妻のエウドキアは夫が敗戦して捕虜となったことを知ると、夫を廃して前夫との間に生まれていた息子ミカエル7世ドゥーカスを新たに皇帝として即位させた。同年のうちにセルジューク朝から釈放されたロマノス4世は、このミカエル7世の皇位継承を認めず抵抗したが、捕らえられて盲目にされたうえで追放された。そして1072年、失意のうちに死去した。
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