ヴィルヘルム2世 (ヘッセン方伯)
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ヴィルヘルム2世(Wilhelm II., 1469年4月29日 - 1509年7月11日)は、下ヘッセン方伯(在位:1493年 - 1509年)。のち兼上ヘッセン方伯(在位:1500年 - 1509年)。下ヘッセン方伯ルートヴィヒ2世とその妃であったヴュルテンベルク=ウラッハ伯ルートヴィヒ1世の娘メヒチルト(1436年以後 - 1495年)の息子。兄のヴィルヘルム1世(長兄伯)・従弟のヴィルヘルム3世(若年伯)と区別するため「中庸伯」と呼ばれる。
ヴィルヘルム1世の退位により、1493年に下ヘッセン方伯となる。ヴィルヘルム2世は1497年にロートリンゲン公フリードリヒ6世の公女ヨランタ(? - 1500年)と結婚し、1500年に彼女と死別した。二人の間に子供はなかった。同年10月20日、メクレンブルク=シュヴェリン公マグヌス2世の公女アンナ(1485年 - 1525年)と再婚し、彼女との間にヴィルヘルム(1500年3月27日 - 4月8日)、エリーザベト(1502年 - 1557年)、マグダレーナ(1503年 - 1504年)、フィリップの二男二女をもうけた。
同じく1500年には、従弟の上ヘッセン方伯ヴィルヘルム3世が死去したため上ヘッセン方伯も嗣ぎ、二つに分割されていたヘッセン方伯を統合した。
1503年に神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世は、ヴィルヘルム2世に対してプファルツ選帝侯フィリップの追放を命じた。
ヴィルヘルム2世は1509年に歿し、末子のフィリップ1世が方伯位を嗣いだ。
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