ヴェネツィア・ジュリア
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Venezia Giulia | |
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主都: | トリエステ |
国: | イタリア, スロヴェニア, クロアチア |
人口: | 約1,060,500 |
面積: | 約9,850 km² |
言語: | イタリア語, スロヴェニア語, クロアチア語 |
ヴェネツィア・ジュリア(Venezia Giulia)またはカルシア・ジュリア (Carsia Giulia, スロヴェニア語:Julijska Krajina), アドリア海沿岸の歴史的な地方名。
ヴェネツィア・ジュリアの名はグラツィアーディオ・アスコリが1863年に用いた。 それ以前は、オーストリア=イリリア沿岸、キューステンラント(Küstenland)、プリモリエ(Primorje)などと呼ばれていた。 ジュリア・アルプス、トリエステ湾、クアルネロ湾に囲まれ、カルスト高地やイゾンツォ川流域、イストリア半島などを含んでいる。
[編集] 最近の歴史
第一次世界大戦までヴェネツィア・ジュリアはオーストリア=ハンガリー帝国の一部だった。 1919年のサン=ジェルマン=アン=レー条約のおかげで、1920年にイタリア王国に編入され、ゴリツィア県、トリエステ県、ポーラ県、続いて(1924年)にフィウーメ県が作られた。 イタリアに移動するイタリア人達とスラヴの人々とは数においてほぼ等しく、イタリア人達はたいてい沿岸の大都市に居住し、反対にカルソの内陸部ではスロヴェニア人とクロアティア人が住んだ。 イタリア人のジューリア地方への拡大は、ジュリア・アルプスの分水嶺からこちら側のほぼ一杯となった。 国家主義的な型の迫害が原因で、何万と言うスロヴェニア人やクロアティア人が移住していった。 第二次世界大戦後には、地域の大部分がスロヴェニアとクロアティアつまりユーゴスラヴィアの一部になり、そのためほぼ全てのイタリア人の住民は移民となってイタリアへ行った。
現在のイタリアのヴェネツィア・ジュリアのゴリツィア県とトリエステ県のほとんどと一致している。(約 679km²).
[編集] 関連項目
- トリエステの歴史
- フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州
- スロヴェニア
- クロアティア