三崎城
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三崎城(みさきじょう)は、現在の神奈川県三浦市に存在した城。別名・新井城(あらいじょう)。相模三浦氏の本拠地で後に後北条氏が領する。
従来、後北条氏関連の史料などから新井城と三崎城は別の城と考えられてきたが、近年では相模三浦氏時代には三崎城として単一の城を構成しており、後北条氏が同城の海側の部分を改築して独立した水軍城砦とした時に旧城である新井城と新城である三崎城に分けられたと考えられている。
伝承によれば、鎌倉時代後期の三浦氏宗家滅亡後に相模三浦氏を興した佐原盛時が築城したとされているが、実情は不明である。恐らくは元は同氏の水軍基地の一つであったと考えられている。
戦国時代初期に三浦義同が北条早雲に城を囲まれて3年にわたって篭城戦が繰り広がれたが、ついに陥落して相模三浦氏は滅亡した。その後、北条早雲によって大規模な改築が行われて安房の里見氏に対する備えとした。実際に新井・三崎の両城は何度か里見氏によって攻め落とされて三浦半島南部が里見領になった時期もある。後に北条氏康がこの地を奪還すると、息子の氏規を三崎城主とした。
もっとも、最前線とは言え、城ヶ島に近い風光明媚な場所であったため、平時には後北条氏当主が静養を兼ねて三崎を訪れたらしく、1519年には早雲が、1565年には氏康がここを訪れている。