安房国
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安房国 (あわのくに) は、かつて日本の地方行政区分だった国の一つで、東海道にある。現在の千葉県南端にあたる。房州 (ぼうしゅう) と呼ぶこともある。稀に安州(あんしゅう)とも。また、南総(なんそう)とも呼ばれた。延喜式での格は中国、遠国。曲亭馬琴の「南総里見八犬伝」で有名。
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[編集] 沿革
養老2年 (718年) 5月2日、上総国の平群郡、安房郡、朝夷郡、長狭郡を分けて安房国が建てられた。天平13年 (741年) 12月10日に上総国に合したが、天平宝字元年 (757年) に元に戻された。
上総国阿幡郡、上総国阿波郡、上総国安房郡という表記の木簡あり。
[編集] 国府・国分寺・国分尼寺・安国寺・利生塔・一宮以下・総社
国府は当時の平群郡、現在の南房総市(旧三芳村)の府中と思われるが、正確な位置は不明である。
国分寺は館山市国分にあった。その法燈を同地の日色山国分寺(本尊:薬師如来)が伝承する。国分尼寺は未詳である。安国寺は鴨川市北風原の仏日山安国寺(本尊:聖観世音菩薩)が伝承する。利生塔は未詳である。
延喜式神名帳には大社2座2社・小社4座4社の計6座6社が記載されている。大社2社は安房郡の安房坐神社(現 安房神社。名神大社)と后神天比理乃咩命神社(「元名洲神」と注記)である。后神天比理乃咩命神社は安房坐神社の后神を祀る神社とされ、洲崎神社(館山市洲崎)・洲宮神社(館山市洲宮)の2社が論社となっている。
一宮は安房神社(館山市大神宮)である。近世以降、館山市洲崎の洲崎神社も一宮を主張したとみられる。館山市洲宮の洲宮神社が二宮とされることがある。
総社は六所神社(館山市亀ヶ原)だったと考えられているが、既に廃絶したとの説もある。館山市八幡鎮座の鶴谷八幡神社が「一国一社の八幡宮」で、総社の機能を持つ「総社八幡」だったと見られる。
[編集] 守護
[編集] 鎌倉幕府
不明
[編集] 室町幕府
- ?~1337年 - 斯波家長
- ?~? - 南宗継
- ?~? - 鵤木氏
- 1363年~1368年 - 上杉憲顕
- 1369年~1385年 - 結城直光
- 1388年~1390年 - 上杉憲方?
- 1395年~1396年 - 結城直光
- ?~1416年 - 木戸満範
- 1423年~? - 上杉定頼
[編集] 国司
[編集] 安房守
[編集] 郡
[編集] 関連項目
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