上杉宗房
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上杉 宗房(うえすぎ むねふさ、1718年7月14日(享保3年6月17日)? - 1746年9月26日(延享3年8月12日))は、出羽米沢藩の第7代藩主。5代藩主・上杉吉憲の次男。母は山中氏(祥寿院)。6代藩主・上杉宗憲の同母弟。正室は尾張支流松平義方の娘・近姫(徳川宗春の養女)。官位は従四位下。民部大輔。侍従。
1712年生まれという説もあるが、有力なのは1718年6月17日生まれという説である。幼名は政千代。1734年、兄の宗憲が嗣子無くして死去したため、その嗣子となって家督を継いだ。宗房の代になると、藩財政が窮乏しただけではなく、年貢の未納なども深刻となり、宗房は百姓に対して年貢の納付の延期などによる対策を講じた。また、倹約令を出して藩財政を再建しようとしたが、あまり効果は無かった。兄と同じく嗣子無くして1746年8月12日に死去。法号は英徳院殿法印権大僧都雄心。墓所は米沢市。後を弟の上杉重定が継いだ。
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