丙寅洋擾
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丙寅洋擾(へいいんようじょう)とは、1866年(慶応2年)10月にフランス軍がキリスト教徒虐殺事件(丙寅迫害)の報復として朝鮮の江華島を攻撃した事件である。
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[編集] キリスト教徒への弾圧
事件の原因となったキリスト教徒虐殺は、1866年の大院君によるキリスト教禁止令による弾圧で丙寅迫害(丙寅教獄・丙寅邪獄)が起きた事に始まる。フランス人宣教師9人を含む宣教師らが処刑され、その後6年間で8000人にのぼるキリスト教信者が処刑されたと言われる。
[編集] 戦闘の概要
フランス軍は艦隊を率い江華島への第一次攻撃を開始、朝鮮の守備隊との交戦後、一時退却して第二次攻撃で江華島の一部を占領した。以後40日間の駐留が続き、外奎章閣(王室の文書館・奎章閣の別館で、1781年以降江華島に設けられていた)に保管されていた王室関係記録「外奎章閣図書」をはじめとした宝物等の没収などが行われ、朝鮮側はこれに対して書状により抗議した。
フランスは側は朝鮮へ返答し、宣教師虐殺に対する賠償、宣教師処刑の責任者の引渡し、通商条約締結と全権大使派遣の三つを要求するも大院君がこれを無視した為、江華島の侵攻を再開して鼎足山城(三郎城)へ攻城戦を挑んだ。朝鮮軍は梁憲洙を指揮官として防衛戦に勝利。フランス軍は朝鮮から撤退を始める。朝鮮はこの事件をきっかけに軍備拡張を進め、ナショナリズムを高揚させていった。
[編集] 殉教者の慰霊
現在、虐殺されたカトリック教徒達の為にソウル市麻浦区合井洞にある龍頭峰が切頭山聖地として整備され、追悼施設が作られている。1966年、丙寅迫害100周年を記念して切頭山殉教博物館と切頭山巡礼聖堂と共に記念館が着工され、翌年に完成。1972年には殉教者記念公園が造成された。後の1984年にはローマ教皇ヨハネ・パウロ2世、1985年にマザー・テレサが訪れている。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
切頭山聖地[1] - 韓国観光公社のHP