中井祐樹
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中井祐樹(なかい ゆうき、1970年8月18日 - )は、日本の北海道出身のブラジリアン柔術家、元総合格闘家。パラエストラ東京所属。身長170cm。北海道札幌北高等学校卒業、北海道大学中退。
高校時代にレスリングを学び、北海道大学柔道部で高専柔道の流れを汲む七帝柔道を学ぶ。本人によると最初は大学正門前にあった極真空手高木薫道場に入るつもりだったが、柔道部を見学に行って、そのあまりの寝業の多さとテクニックに惹きこまれ、「これだ!」と入部したという。
北大柔道部の目標は、7月に開催される七帝戦。北大のほか、東北大、東大、名大、京大、阪大、九大が参加する。15人の団体戦。七帝ルールという特殊なルールで寝業を戦うこの大会で、4年時に無敵の京大の11連覇を阻止し、団体優勝に輝く。中井は、すぐに退学届けを提出し、修斗(当時の名称はシューティング)に参戦するために上京し、横浜ジムへ入門する。
1995年のバーリ・トゥード・ジャパンに参戦。大会最軽量ながら持ち前のテクニックで一回戦、二回戦と共に一本勝ち。決勝戦でヒクソン・グレイシーと対戦。善戦するもチョークスリーパーで一本負け。この大会を最後に総合格闘技引退。ブラジリアン柔術へ転向。
1997年にパラエストラ東京を設立し、以来、日本人ブラジリアン柔術家の育成に携わっている。それから十年と経たずにパラエストラ支部は全国に広がる程の展開を見せ、中井が日本の格闘技界にもたらした功績はまぎれもなく大きい。
最近になってから、1995年のバーリ・トゥード・ジャパン一回戦、ジェラルド・ゴルドー戦でサミングをされ右目を失明していたことが判明。しかしそのことをすぐには公になかった。その理由は、「まだマイナーだった総合格闘技に危ないイメージを広げたくなかった。」というものであり、先駆者としての中井の功績は大きい。
目次 |
[編集] 戦績
- 1995年 バーリ・トゥード・ジャパンオープン95 準優勝
- 1999年 ブラジレイロ黒帯ペナ級 3位
[編集] 獲得タイトル
- 1994年 修斗第3代ウェルター級チャンピオン
- 1998年 パンアメリカン茶帯ペナ級優勝
[編集] 関連記事
[編集] 外部リンク
- パラエストラ東京(中井祐樹が主宰する道場)
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