中山義秀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
文学 |
ポータル |
各国の文学 記事総覧 |
出版社・文芸雑誌 文学賞 |
作家 |
詩人・小説家 その他作家 |
中山 義秀(なかやまぎしゅう、1900年10月5日-1969年8月19日)は、日本の小説家。福島県西白河郡大屋村(現白河市)生れ。本名、議秀(よしひで)。旧制安積中学(現福島県立安積高等学校)、早稲田大学文学部英文科卒。
大学在学中に、横光利一、富ノ沢麟太郎、小島勗らと同人誌『塔』を創刊。小説『穴』を発表。また、帆足図南次と『農民リーフレット』を発刊。卒業後、中学英語教師のかたわら著作業を始め、妻の死など苦難の後、著作集『電光』を刊行。1938年、岩瀬郡長沼町を舞台にした『厚物咲』で第7回芥川賞。翌年『碑』を発表し、文壇での評価を高める。
戦後は時代小説を書き、『新剣豪伝』『信夫の鷹』『咲庵』(野間文芸賞)など。がんに倒れ、『芭蕉庵桃青』が絶筆。死の前日に、キリスト教の洗礼を受ける。中山義秀記念文学館がつくられ、優れた歴史小説を対象にした、中山義秀文学賞が創設された。大信村の文化の発展に貢献したが、2005年に合併し、白河市となった。