中畠晴時
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中畠 晴時(なかはた はるとき、元亀元年(1570年) - 天正18年(1590年)は戦国時代の武将で、白河結城氏の家臣。中畠晴常の子で中畠晴辰の弟。大学介。
兄・晴辰の跡を継ぐ。小田原落城後に奥州に進軍する豊臣秀吉に同調せず、秀吉が会津に向かった際、勢至堂峠の馬尾滝で秀吉を銃で狙撃する。弾を逸らし、秀吉殺害に失敗した晴時は隈井姓に変えて身を隠した。その後、蒲生氏郷に従い九戸政実の乱(九戸一揆)に出陣し、討死した。
幼少の子の晴倶は家臣の相楽氏にかくまわれ成長したので相楽氏を名乗り、のち会津に入った加藤嘉明に仕えたという。さらにその後子孫は水戸藩に仕え、結城姓に復した。