中野三敏
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中野三敏(なかの みつとし、昭和10年(1935年) - )は日本の文学者である。江戸から明治期の近世文学を中心に研究。福岡県生まれ。著書多数。
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[編集] 略歴
福岡県に生まれ佐賀県で育つ。父 中野敏雄は戦前、高額納税者で勅選議員、戦時中は海軍少将、海軍参与官、戦後はGHQにより公職追放にあったが、その後合併によって誕生した武雄市の初代市長に就任(1954年)。102歳の長寿を得た。
中野は高校時代に江戸川乱歩、谷崎潤一郎、泉鏡花、永井荷風などを耽読し、作家を志す。一浪後、早稲田大学第二文学部に入学。もともと小説家になって中退するつもりだったが、中央公論新人賞に落選したことで作家の夢を諦め、無事卒業し大学院へ進む。在学中、石丸久、鵜月洋、山沢英雄、暉峻康隆らを恩師としている。
洒落本の研究を進めるうちに中村幸彦に傾倒した。帰省の折りに九州大学の中村を訪ね、書簡のやりとりを続ける。その後中村は終生の師となる。三古会や掃笞会に参加する中で丸山季夫や森銑三、高浜二郎らの薫陶を受け、やがて近世の文人達に興味をもつ。国会図書館や日比谷図書館などに通い、本郷や上野、神保町にある古書店の常連客となり、ひたすら和本を漁る。古書市にも出入りし、古書肆 反町茂雄に出会っている。また中村の師 野間光宸の知遇を得た。雑誌「経済往来」に文人伝の掲載をはじめ、1977年に毎日新聞社から『近世新畸人伝』として出版された。1964年に漢学者である早川祐吉の娘と結婚。結婚式は宇野哲人や塩谷温なども列席する中、儒式で執り行われた。
1966年、名古屋の愛知淑徳短期大学に職を得て赴任。長沢規矩也の信任を得て学会誌「書誌学」への寄稿を始める。また古書肆 藤園堂を通じて書誌学者の尾崎久弥や横山重と知遇を得る。かつて森銑三が目録を整理した岩瀬文庫や刈谷図書館に足繁く通い和本の知見を広げた。この頃、水田紀久、多治比郁夫、肥田皓三との交わりを深めている。
1972年、中村幸彦が関西大学に移動した跡を受けて今井源衛の要請に応じて九州大学助教授となる。1981年、博士論文『戯作研究』が出版され、賞を受賞(年譜を参照)。その後も精力的に研究・執筆活動を継続。現在に至る。
[編集] 年譜
- 1953年 久留米大学附設高等学校卒業。
- 1959年 早稲田大学第二文学部を卒業。
- 1964年 同大学大学院日本文学研究科修了。
- 1964年 正則高等学校 国語教師になる。
- 1964年 結婚。
- 1966年 愛知淑徳短期大学助教授。
- 1972年 九州大学文学部助教授。
- 1981年 『戯作研究』によりサントリー学芸賞(芸術・文化部門)
- 1982年 同書、角川源義賞を受賞。
- 1982年 九州大学文学部教授。
- 1985年 『近世子どもの絵本集 上方篇』により毎日出版文化賞受賞。
- 1999年 福岡大学教授。
- 2006年3月 同大学を退官。
[編集] 主な著述
[編集] 単著
- 『江戸の出版』ぺりかん社、2005年、ISBN 483151120X。
- 『本道楽』講談社、2003年、ISBN 4062117932。
- 『近世新畸人伝』岩波文庫、2004年、ISBN 4006001347(初出 毎日新聞社、1977年)。
- 『十八世紀の江戸文芸』岩波書店、1999年、ISBN 4000233378。
- 『江戸の板本-書誌学談義』岩波書店、1995年、ISBN 400002955X。
- 『江戸文化評判記—雅俗融和の世界』中公新書、1992年、ISBN 412101099X。
- 『江戸名物評判記集成』岩波新書、1987年、ISBN 4000002007。
- 『江戸名物評判記案内』岩波書店、1985年。
- 『戯作研究』中央公論社、1981年。
[編集] 編著
- 『三村竹清集』青棠堂、1982年 – 1985年。
[編集] 共著
- 『新日本古典文学大系・明治編 開化風俗集』岩波書店、2004年。
- 『新日本古典文学大系・明治編 幸田露伴集』岩波書店、2002年。
- 『新日本古典文学大系・明治編 女性作家集』岩波書店、2002年。
- 『新日本古典文学大系・異素六帖・古今俄選・粋宇瑠璃・田舎芝居』岩波書店、1998年。
- 『学海目録』全12巻 岩波書店、1991年 - 1993年。
- 『大田南畝全集』全20巻 岩波書店、1985年 – 1990年。
- 『洒落本大成』全30巻 中央公論社、1978年 – 1988年。
- 『近世子どもの絵本集 上方篇』肥田皓三 岩波書店、1985年。
- 『甲子夜話』全3篇20冊 中村幸彦・中野校訂 平凡社東洋文庫、1977年 – 1978年。
[編集] 出典
- 中野三敏『本道楽』講談社、2003年。