公職追放
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公職追放(こうしょくついほう)とは政府の要職や民間企業の要職につくことを禁止すること。
[編集] 概説
日本が太平洋戦争に降伏後、連合国軍最高司令官総司令部の指令により、公職に就くことを禁止されたこと。
1946年(昭和21年)に勅令形式で公布・施行された「就職禁止、退官、退職等ニ関スル件」(公職追放令、昭和21年勅令第109号)などにより、戦争犯罪人、戦争協力者、大日本武徳会、大政翼賛会、護国同志会関係者がその職場を追われた。この勅令は翌年の「公職に関する就職禁止、退官、退職等に関する勅令」(昭和22年勅令第1号)で改正され、公職の範囲が広げられて有力企業の幹部なども対象になった。
しかし、労働運動の激化、朝鮮戦争などの社会情勢から連合国軍最高司令官総司令部の占領政策が転換し、次第に共産主義者が主な対象にされていった(レッドパージ)。また、講和が近づくと1951年に第一次追放解除が行われた。公職追放令はサンフランシスコ平和条約発効(1952年)と同時に施行された「公職に関する就職禁止、退職等に関する勅令等の廃止に関する法律」(昭和二十七年法律第九十四号)により廃止された。
[編集] 追放の事例
- 赤城宗徳 護国同志会の会員であったため、1946年(昭和21年)1月から1951年(昭和26年)8月まで公職追放。追放解除後、農林大臣、官房長官、防衛庁長官などを歴任。
- 足立正 王子製紙社長。
- 石井光次郎 衆議院議員。戦時中、朝日新聞の取締役を務めていたため、衆議院議員転身後の1947年(昭和22年)、商工大臣在任中に追放。1951年(昭和26年)に解除されると、朝日放送社長を経て政界に復帰。後に衆議院議長。
- 石田礼助 三井物産代表取締役、日本国有鉄道総裁。
- 石橋湛山 政治家、ジャーナリスト。戦前からの東洋経済新報社主宰を理由として、大蔵大臣在任中の1947年(昭和22年)に公職追放。戦時中も一貫して軍部を批判し続けていた石橋の追放には厳しい批判が続出した(石橋が反GHQであった、名声を高めている事に対する吉田茂の追い落とし工作であるなどと憶測も飛んだ)。1951年(昭和26年)追放解除。1957年(昭和32年)に内閣総理大臣に就任。
- 市川房枝 婦人運動家、参議院議員。戦時中の言論統制機関、大日本言論報国会の理事であったため。1947年(昭和22年)に追放。1950年(昭和25年)、追放解除。
- 二代伊藤忠兵衛 伊藤忠商事並びに丸紅の基礎を築いた実業家。1947年(昭和22年)9月に公職追放、1950年(昭和25年)10月に追放解除。
- 小倉正恒 住友の6代目総理事、第2次近衞内閣で国務大臣、第3次近衞内閣で大蔵大臣。1951年(昭和26年)に追放解除。
- 小野清一郎 東京大学法学部教授(刑法)。1946年(昭和21年)から1951年(昭和26年)まで追放。
- 加藤謙一 講談社「少年倶楽部」編集長。後に学童社を創立し「漫画少年」を発刊。手塚治虫らを育てた。
- 唐沢俊樹 内務省警保局長、阿部内閣で法制局長官、貴族院勅撰議員。東條内閣で内務次官。天皇機関説事件や大本弾圧に関与。1951年(昭和26年)に追放解除、第1次岸内閣で法相。横浜事件を陰で指揮したもと言われる。
- 小平浪平 日立製作所社長。1951年(昭和26年)6月、追放解除。
- 五島慶太 東京急行電鉄社長。東條内閣で運輸通信大臣。1947年(昭和22年)に追放。1951年(昭和26年)、追放解除。
- 渋沢敬三 日本銀行総裁、幣原内閣で大蔵大臣。渋沢栄一の孫。1946年(昭和21)に追放、1951年(昭和26年)、追放解除。
- 正力松太郎 読売新聞社長。1945年(昭和20年)、A級戦犯容疑で逮捕。巣鴨拘置所に収容される。1947年(昭和22年)に不起訴で釈放され、その後追放される。1951年(昭和26年)、追放解除。
- 田中正明 大日本興亜同盟職員、松井石根の中国訪問時に随員。復員後は南信時事新聞編集長。1949年に追放。
- 円谷英二 映画の特撮監督。戦時中に戦意高揚映画の特撮を監督していたため、1947年(昭和22年)に追放され、東宝を退職。1952年(昭和27年)の追放解除により東宝に復帰。
- 徳富蘇峰 ジャーナリスト、思想家。1945年(昭和20年)にA級戦犯指定を受ける(不起訴)。のちに追放を受け、1952年(昭和27年)に解除された。
- 羽田武嗣郎 朝日新聞記者を経て政治家。1952年(昭和27年)、追放解除。羽田孜元首相の父。
- 鳩山一郎 政治家。1946年(昭和21年)に追放、1951年(昭和26年)に追放解除。その後、内閣総理大臣に就任。
- 前田久吉 大阪新聞社長。報道での戦意高揚のため。1946年(昭和21年)から1950年(昭和25年)10月まで追放。
- 松下幸之助 松下電器産業社長。1946年(昭和21年)に公職追放、松下電器労組と連合国軍最高司令官総司令部の交渉の末、翌年の1947年(昭和22年)に追放解除。
- 松前重義 東海大学創設者。1946年(昭和21年)に公職追放、1950年(昭和25年)に追放解除。
- 安岡正篤 思想家。大東亜省顧問。1954年に追放解除。
[編集] 根拠法令
- 公職に関する就職禁止、退官、退職等に関する勅令(昭和22年勅令第1号、昭和23年政令第228号により改正)
- 公職に関する就職禁止、退職等に関する勅令等の廃止に関する法律(昭和27年法律第94号)