主観確率
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主観確率(しゅかんかくりつ)は、確率(客観確率)に対比される概念。
[編集] 主観確率と客観確率
客観確率とは、実験または理論的考察(思考実験)から求められ、客観的な観測結果と比較できるランダムな事象についての確率をいう。
主観確率とは、人間が考える主観的な信念あるいは信頼の度合(客観的には求められない)を表す確率をいう。たとえば「かつて火星に生命が存在した確率」のように、日常的には使われるけれども厳密に定義することはできない、不確かな命題についての確率である。
数学的な確率論は客観確率をもとにしたものといえるが、主観確率を容認しても成立しうるものであり、つまり客観確率・主観確率は数学的というより哲学的な問題と考えられる。ただし統計学では主観確率を容認するか否かで全く異なる理論体系が必要となる。
客観確率はある事象が起きる頻度の観測結果に基づいて定義されるので、客観確率のみを確率として容認する立場は頻度主義といわれる。
主観確率をも容認する立場(下記のように主観性に程度があり、どこまで認めるかについてはいろいろな意見に分かれるが)を一般に「ベイズ主義」という。この語源となったトーマス・ベイズ自身は主観確率を積極的に認めたかどうか必ずしも明らかでないが、主観確率を扱う際に重要なベイズの定理を示したとされる。
[編集] 例
主観確率にも主観性の程度にいろいろ違いがある。次の例を考えよう。
「さいころをランダムに2回振って、出た目の数の和をとる。この結果が6だったときに、さいころの目として1が出ていた確率を求めよ」
これは数学的には正確に定義できて簡単に計算できる(答:2/5)。ところが、このように後になってから前の事実を推測する確率(後の結果を条件とする前の事実についての条件付き確率、つまり事後確率)も、頻度主義から見れば一種の主観確率である。ランダムなさいころの目を原因として結果の6が現れたのであって、結果の6をもとにしてランダム変数が現れるわけではない、というわけだ。
このことを端的に示すのがモンティ・ホール問題である。これは3つのなかから1つだけアタリを当てるゲームだが、最初は3択だった問題が途中で2択に切り替わる(1つ選んだあとでハズレの1個が示され、残り2つから選ぶようになる)。2択段階でアタリの確率を求めるのに、単なる2択として計算すると1/2(直感的にこう考える人が多い)だが、実際はそうではなく、最初に選んだ方が1/3、選ばなかった方が2/3とするのが正しい。
一方、頻度主義の考え方では、過去の原因を仮定した上で現在の結果が現れる条件付き確率を考え、これを尤度、あるいはいろいろな原因を変数とする関数とみて尤度関数という(これは原因に関する確率ではない)。そして尤度の最も高い原因を事実と推定するわけである。