九二式重機関銃
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正式名称 | 九二式重機関銃 | |
全長 | 115.5cm | |
銃身長 | 72.1cm | |
重量 | 55.500g | |
口径 | 7.7mm 九二式普通実包 | |
装弾数 | 30発(保弾版) | |
発射速度 | 450発/分 | |
製造国 | 大日本帝国 | |
製造 | 日立工機 |
九二式重機関銃は、大日本帝国軍(以下陸軍という)の制式重機関銃である。
目次 |
[編集] 開発経緯
第一次世界大戦頃まで、陸軍の重機関銃は三年式機関銃を使用していた。当時の陸軍では、重機関銃の見識は、弾薬は6.5mm×50弾を使用でき、射程距離も2kmあれば十分とされていた。しかし各国の重機関銃と比べると威力不足が目立ち、しかも航空機を相手にした場合の射程距離も不足していた。(当時の各国の重機関銃の標準口径は7~8mmである)そこで陸軍は昭和4年に航空機用機関銃八九式旋回機関銃を開発した。7.7mm弾を使用したこの機関銃の開発は、陸軍でもようやく7.7mm弾使用の重機関銃を手に入れたことになる。ここで陸軍もこの機関銃を陸上用に改造、量産を試みた。しかし当時の大日本帝国の工業力を見ると、大量生産できる機関銃ではなかった。
[編集] 九二式重機関銃の登場
八九式旋回機関銃の陸上使用化は容易ではないと判断した陸軍は、もともと使用していた三年式機関銃を改造し、7.7mm弾を使用できるようにした試作銃を昭和7年に開発した。開発が順調に進んだ背景には、三年式機関銃は銃本体が頑丈で大型な機関銃であり、そのため口径拡大による補強や重量増加に十分耐えられる構造をしていたためである。しかし、試作銃があまりに早く完成したため使用する7.7mm弾がまだ完成していないといった状況に陥った。(のちに八九式旋回機関銃で使用していた弾薬を陸上用として新規開発)その後昭和7年から8年にかけて試作銃弾の発射試験を繰り返し、昭和14年、九二式重機関銃の名称で制式採用となった。照準は光学照準機(スコープ)を採用し遠距離での命中精度がかなり高かった。弾に油を塗る装置や給弾機構は三年式機関銃と同一であったが握把が折り畳み式で銃口に消炎器が装備できるといった新機構も追加された。給弾方式はベルト式ではなく保弾板式を採用、機銃発射方法も引き金式ではなく親指で押す押鉄式に改められた。しかし命中率を求めた結果、発射速度は遅く何発撃ったか数えられるぐらい遅かった。しかも重量も改造を重ねた結果、非常に重くなってしまった。保弾板上の弾薬の数が減るにつれ発射速度が増す特徴的な発射音のため、連合国の兵士たちは「キツツキ」と呼んだ。
[編集] 九二式重機関銃の長所・短所
長所
- 光学照準機の採用など、とにかく命中率が高い
- 握把が折りたため、持ち運びが容易だった
- 銃口に消炎器を使用(射手の目が眩まない。「相手に見つかりにくい」と言うほどの効果があるかは疑問)
短所
- 改造前の三年式機関銃より重かった
- 発射速度が当時の他銃に比べて遅い
- 敵前での銃身交換が困難
[編集] 九二式重機関銃、その後
九二式重機関銃は日中戦争で初めて使用され、第二次世界大戦を通して終戦まで陸軍の制式銃機関銃として活躍した。命中率が高かったため、陸軍と対峙したアメリカ兵も九二式重機関銃の射撃には極力注意したらしい。無条件降伏後、自衛隊が発足したとき九二式重機関銃を採用すべきだという意見もでたが結局かなわず、1960年代中頃に中国大陸で鹵獲されたものが用いられたのを最後に、日本の銃器史の中に消えていった。
ちなみに九二の名称は、採用年度が皇紀では2592年であったため、末尾の2ケタの数字をつけたものである。これは大正が15年で終わったため、新型銃を開発するとまた1から番号を振ることになるため、新しい兵器のほうが番号が若いという事態を招くことを避けたためであるとされる。そのため番号が重ならないようにこの時は皇紀をあえて採用した。
[編集] 九二式重機関銃の登場するメディア作品
- メダル・オブ・オナー ライジングサン(PS2用ゲーム)
- メダル・オブ・オナー パシフィックアサルト(wimdows用ゲーム)
- バトル・フィールド1942 (windows用ゲーム)
- HIDDEN & DANGEROUS 2 (windows用ゲーム)ビルマで使用可能
- シン・レッド・ライン(映画)
- 「独立重機関銃隊」(1974・小学館 松本零士作)
- 大脱走!-カウラ日本兵捕虜収容所-(映画)
- 父親たちの星条旗(2006.映画)
- 硫黄島からの手紙(2006.映画)