井上忠行
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井上 忠行(いのうえ ただゆき、1935年10月25日 - )は、福岡県出身のプロ野球選手、プロ野球審判員。セ・リーグ袖番号は2(1988年初採用から2001年退職まで、専任指導員に転じた1997年以降もつけていた。2004年以降は敷田直人がつけている。)。
[編集] 来歴・人物
八女工業高校卒業後、門司鉄道管理局を経て1957年に、西鉄ライオンズに内野手として入団。主に中西太の後釜として一塁手・三塁手の控えをつとめ、1964年まで現役を続けた。現役時代の通算記録は、実働8年で584試合に出場し、945打数170安打の.180、18本塁打、71打点、3盗塁である。1963年には日本シリーズにも出場している。
その後セ・リーグ審判部に入局、関西審判部の中堅として長年活躍した。審判員としての出場記録は通算3263試合、日本シリーズ6回、オールスター6回。引退前年の1996年には、61歳という高齢ながらオールスター・日本シリーズW出場を果たしている。有名な試合としては、1987年中日の近藤真市によるルーキー初登板・初先発ノーヒットノーラン達成試合で球審をしていた[1]←その時の映像。井上はこの試合を振り返り、「5回辺りから記録達成の予感がした」と述懐している。
1997年に引退後、2001年まで審判指導員をつとめた。現在はプロ野球マスターズリーグで審判をつとめるほか、少年野球の指導などで活躍中。
元プロ選手らしく大柄な身体で、大食漢、ストライクゾーンが広い審判であった。