井辺八幡山古墳
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井辺八幡山古墳(いんべはちまんやまこふん)は、和歌山市岩橋の岩橋千塚古墳群の井辺前山支群の盟主墳的な存在で、古墳時代後期末の前方後円墳である。
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[編集] 概要
6世紀初めの古墳で、墳丘長88メートルもあり、和歌山県下最大の古墳であるが、1960年代には古墳としてすら認識されていなかった。八幡の小さな祠のある山としての伝承も持つだけで、地元の住民も、ここが塚だという意識は忘れていた。1966年に刊行された福飯ヶ嶺(ふくいいがみね)山塊にあった古墳(井辺前山32号墳)の発掘報告に掲載された周辺の遺跡説明で10号墳とされたのが後に井辺八幡山古墳の前方部にあたり、11号墳とされていたのが後円部に当たっていたのである。このように最初は二つの円墳として扱われていた。 井辺八幡山古墳は、山塊の中に造営され、盛り土も部分的に行ったもので、墳丘の大部分は自然地形の高まり、つまり山を利用している。水濠も空堀もない。 [1]
[編集] 埋葬施設
くびれ部にある造り出しから、多様な形象埴輪や装飾付須恵器とともに、底部に孔をあけた須恵器の大甕3個が並んで発掘された。
[編集] 被葬者
被葬者は、この地方の支配者で、強大な力を持ったと思われる。
[編集] 副葬品
- 入れ墨をした力士像人物埴輪褌をした相撲を取る力士埴輪、額に鉢巻きをしている。相撲や褌をした人物は庭は、褌の形や入れ墨の有無に差異はあるものの高句麗の塚や古墳の壁画にもみられる。角杯(かくはい)を背負う武人埴輪に先端の尖った革製の靴が写実的に表現されている。東北アジアの騎馬文化とのかかわりが窺える。
[編集] 脚注
- ^ 『和歌山市岡崎井辺32号墳発掘調査』和歌山県教育委員会
[編集] 関連項目
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