人の終期
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人の終期(ひとのしゅうき)は、どの時点で人間が死亡したとみなすのかをめぐる法的な議論。日本では、法的にはあまり争いのある分野ではなかったが、臓器移植のための脳死者からの臓器摘出をめぐって議論が巻き起こり、死亡時点の認識について多少の動きが出てきた。
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[編集] 死亡の意義・効果
死亡したことによって、人(自然人)は権利の主体であることができる地位を失う。
刑法上では、生きている者は殺人罪・傷害罪をはじめとする各種犯罪の客体(被害者)となることができる。それらの犯罪の加害者に対しては重罰が課されることから、結果として法によって厚く保護される。しかし死亡すると、生きている人を保護することを目的として規定された犯罪の客体となる地位を失い、低いレベルの保護しか受けられなくなる(名誉毀損などの一部の法的保護は遺族に引き継がれるが)。どの時点で死亡したかによって、犯罪行為者に対する処罰が大きく異なることになる。
- 例
- たとえば体を傷つけるという行為について考えてみよう。
- 生きている者の体を傷つけたら傷害罪となり、最高刑は懲役15年である。しかしすでに死んでしまった者の体を傷つけたとしても、それは死体損壊等の罪にしかならず、最高刑は懲役3年にすぎない。
民法上は、死亡によって権利能力を喪失し、相続が開始される。婚姻は、解消される。
日本の戸籍法は、誰かが死亡した場合、死亡した者と同居している親族などに対して、7日以内に死亡届を出すよう求めている(86条・87条)。
[編集] 主たる学説
日本の法律には、「死亡」についての明確な定義はないため、死亡の定義はもっぱら学説に頼ることになる。学説には以下のものがある。
[編集] 三兆候説
旧来からの死亡認定の通説。「呼吸の不可逆的停止」「心臓の不可逆的停止」「瞳孔拡散(対光反射の消失)」の3つの兆候をもって死亡したものとする。
[編集] 脳死説
臓器移植などに伴って強く主張されている新しい有力説。「脳幹を含む全脳の不可逆的機能喪失(いわゆる脳死)」をもって人の死とする。「臓器の移植に関する法律」は、この考え方に基づいて立法された。
[編集] 臓器移植との関係
臓器移植は、三兆候説にたてば「心臓がまだ動いている、生きている者」から臓器を摘出し最終的には死に至らしめるものであり、殺人罪の構成要件を満たす可能性がある(脳死説に立てば、すでに死んでいるため、せいぜい外見的にも死体損壊罪にとどまり、また正当業務行為であるため現実には犯罪とはされない)。
「臓器の移植に関する法律」などの法整備、脳死判定をめぐる手続きの整備などが行われ、現在では正しい手続きに基づいて脳死判定がなされた者からの臓器摘出は殺人罪にはあたらないとする見解が有力になりつつあるが、あくまでも脳死を個体死とは認めない立場からは、時折殺人罪としての告発がなされるなど、過渡的な状況が存在している。2005年現在、「臓器の移植に関する法律」は「脳死も死のひとつとして認める」という立場に立ってはいるものの、同意しない者に対してその見解を強制しないことによって、対立する考え方を調整している。
[編集] 人の終期をめぐるいくつかの特則
死亡は、多くの場合「当該者の死体の存在」で確認することができるが、死体が確認できない場合について、いくつかの特則が設けられている。これらの規定は、生死不明の者がいることによって関係者が法的に不安定な立場に置かれることを防ぐためのものである。