人民国家党
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人民国家党(People's National Party, PNP)は、ジャマイカの民主社会主義政党で、1938年にノーマン・マンリーによって結成された。英領カリブ圏諸国では最古の政党である。1972年から1980年までジャマイカの議会で多数派を占め、1989年から現在まで、再び与党になる (次の選挙は2007年の予定)。社会主義インターナショナル加盟。
人民国家党は1944年、ジャマイカで最初の普通選挙で、32議席中4議席しか獲得できなかった。1955年に与党になり、1962年の独立まで与党の位置を保ち続けた。独立後、ライバルのジャマイカ労働党に敗北。
10年後、ノーマン・マンリーの息子、マイケル・マンリーが党首になり、与党に返り咲く。民主社会主義と第三世界との緊密な外交政策を掲げた。
1980年、エドワード・シアガが率いるジャマイカ労働党に圧倒的な敗北を喫する。この数年後、 インフレと失業率の増加によって、キャンペーンは暴動のレベルまで達した。マンリーは1983年の選挙をボイコット、この後、人民国家党は5年以上も議会を欠席した。
1989年、マンリー党首の下、再び与党になる。1992年にマンリーは引退し、P・J・パターソンが党首となる。
パターソンは、1993年、1997年、2002年の選挙において人民国家党を勝利に導き、ジャマイカの歴史の中で3期連続で勝利した最初の政治的リーダーとなる。2002年8月16日に行われた最新の選挙では、人民国家党は52.2%得票し、下院の60議席中34議席を獲得する。1989年に与党に返り咲いてから、グローバリゼーションを利用する方針を掲げ、1970年代の社会主義のレトリックを捨てた。
2006年2月26日、ポーシャ・シンプソンミラーはパターソンの後任に選ばれ、人民国家党最初の女性党首と、現在のジャマイカ首相になる。