人民武力部
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人民武力部(인민무력부)とは、朝鮮民主主義人民共和国の軍政領域を主管する官庁で、列国の国防省に相当する。組織的には、内閣ではなく、国防委員会に所属する。その機能と権限は、人事、軍事外交、軍事司法等に限定され、軍令部門の総参謀部に比べその役割は小さい。
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[編集] 歴史
北朝鮮において最初に国防省の役割を担った機関は、1948年9月に設置された民族保衛省であった。1972年の憲法改正を通して省が部に改称され、人民武力部に名称が変更された。1998年9月には、最高司令官命令及び憲法改正を通して人民武力部から人民武力省に改称された。同時期、人民武力省の長は人民武力相であり、次官は人民武力省副相と称された。
2000年9月、ソウルで開かれた南北国防長官会談に参席した金鎰喆は、人民武力相ではなく、人民武力部長という肩書きを持っていたため、人民武力省から再び人民武力部に改称されたものと思われる。
元来、人民武力部は、政務院の行政部署の1つだったが、1982年4月、国家安全保衛部(秘密警察・情報機関)、社会安全部(一般警察)と共に、中央人民委員会所属となった。1990年5月から再び国防委員会所属に変更された。
[編集] 組織
過去の人民武力部時代、人民武力部には、総政治局、総参謀部、後方総局、保衛司令部の4大機関と対外事業局、警務局(憲兵)、軍事裁判局、軍事検察局等、4~5個の直属局があった。
[編集] 歴代人民武力部長
北朝鮮の軍政機関の長の職名は、当初(1948年9月)は民族保衛相、1972年12月からは人民武力部長、1998年9月からは人民武力相、2000年9月からは再び人民武力部長である。
- 1948年9月 - 1957年9月:崔庸健
- 1957年9月 - 1962年10月:金光侠
- 1962年10月 - 1968年12月:金昌鳳
- 1968年12月 - 1976年5月:崔賢
- 1976年5月 - 1995年2月:呉振宇。1987年に総参謀長呉克烈が武力部長を代行
- 1995年10月 - 1997年2月:崔光
- 1997年2月 -:金鎰喆