伊東長昌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伊東 長昌(いとう ながまさ、1593年(文禄2年)-1640年11月1日(寛永17年9月18日))は、備中国岡田藩の第2代藩主。初代藩主・伊東長実の次男。母は神子田正治の娘。正室は板倉勝重の養女(中島重次の娘)。官位は従五位下。若狭守。
幼少時から徳川家康の家臣として仕えたが、後に豊臣秀頼の家臣となる。大坂の陣では豊臣方として父と共に戦ったが、敗れて父と共に秀頼の死を知って後を追おうとしたが、家康の制止を受けて共に許され、以後は徳川氏の家臣となった。寛永6年(1629年)の父の死去により家督を相続し、藩主となる。寛永17年(1640年)9月18日、48歳で死去し、後を子の伊東長治が継いだ。法号:宝光院東山高天。
|
|
|