伊賀氏の変
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伊賀氏の変(いがしのへん)とは、1224年に起こった鎌倉幕府の政変事件のことである。北条義時の死去に伴い、伊賀光宗と義時の後室で光宗の妹であった伊賀氏が、伊賀氏の子である北条政村の執権就任と、一条実雅の将軍職就任を画策した。
伊賀光宗は、鎌倉御家人の中でも実力のあった三浦義村と結ぶが、伊賀氏の不穏な動きを悟った源頼朝の未亡人である北条政子は、義時の嫡男であった北条泰時を執権に就任させる。また、三浦義村に対し、泰時への支持を確約させ、伊賀氏の政変を未然に防ぐことに成功した。
これにより伊賀光宗らは流罪となったが、彼らに担ぎ上げられそうになった当の政村は厳罰を免れ後に第7代執権に就任している。