佐藤のぶ
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佐藤のぶ(さとう のぶ、天保2年(1831年) - 明治10年(1877年)1月17日)は、日野宿名主佐藤彦五郎の妻で、新選組副長土方歳三の実姉。佐藤家に嫁いで以降はとく、明治期にはのぶと名乗った。幼名はらん。
竹を割ったような性格だったと言う。
[編集] 生い立ち
天保2年(1831年) 、武州多摩郡石田村に、豪農土方隼人(義諄)の次女(夭折した女児を含むと4女)として生まれる。
天保6年(1835年)、父・隼人が他界。弟・歳三が生まれる。
天保9年(1838年)、姉・周が他界。
天保11年(1840年)、母・恵津が他界。
天保15年(1844年)、かぞえ14歳で日野宿名主佐藤彦五郎へ嫁いだ。
文久3年(1863年)、歳三が浪士組に参加して上洛。後に新選組を結成。
慶応4年(1868年)に戊辰戦争が勃発して、甲陽鎮撫隊が甲州勝沼の戦いに敗れると、佐藤家は離散して新政府軍の捜索を逃れるが、息子・源之助が捕まってしまう。まもなく源之助は釈放され、佐藤家は赦免となる。
明治2年(1869年)7月、市村鉄之助が歳三の遺品を携えて佐藤家を訪れた。
明治10年(1877年)1月17日、他界。享年かぞえ47。
[編集] 弟・土方歳三
歳三との仲は非常に良かったとされ、以下のようなエピソードが残る。
新選組結成後に、歳三が隊士募集のために郷里を訪れて、源之助に入隊を勧めたことがあったが、のぶの強い反対にあって諦めたらしい。また、戊辰戦争時に日野宿へ甲陽鎮撫隊が立ち寄った際、歳三はのぶに土産の母衣を渡していったそうだ。
市村鉄之助が持ち帰った歳三の絶筆は、のぶが死ぬまで大事に持っていたと言う。