佐藤公治
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佐藤 公治(さとう こうじ、1959年7月28日 - )は、日本の政治家。前衆議院議員(2期)。
父は、小沢一郎の腹心で農林水産大臣、国土庁長官、北海道沖縄開発庁長官を歴任した佐藤守良。
生年月日 | 1959年7月28日 |
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出生地 | 広島県御調郡向島町(現・尾道市) |
出身校 | 慶應義塾大学法学部政治学科卒業 |
学位・資格 | 学士 |
前職・院外役職(現在) | 会社員 衆議院議員秘書 |
所属委員会 ・内閣役職(現在) |
- |
世襲の有無 | 2世 佐藤守良(衆議院議員) |
選出選挙区 (立候補選挙区) |
広島6区 |
当選回数 | 4回 |
所属党派(現在) | (新進党→) (自由党→) 民主党(小沢グループ) |
党役職(現在) | 広島県総支部連合会代表 広島県第6区総支部代表 |
会館部屋番号 | - |
ウェブサイト | 佐藤こうじ・前衆議院議員・民主党 |
[編集] 概要
- 慶應義塾高等学校卒業、1983年慶應義塾大学法学部卒業。高校・大学とアイスホッケー部で活躍電通勤務を経て、父の秘書となる。
- 1996年3月父が死亡、同年10月の第41回衆議院議員総選挙に新進党公認で広島6区に立候補するが、建設大臣や自民党政調会長を務めた実力者・亀井静香に敗れ、次点で落選する。
- 1997年新進党広島県連副幹事長。新進党解党後は、自由党に移り、2000年自由党広島県連会長に就任する。同年6月の第42回衆議院議員総選挙に自由党公認で広島6区から立候補し、比例中国ブロックで復活当選する。
- 2003年9月民主党と自由党が合併したことに伴い、民主党に合流し、同党広島県連副代表となる。同年11月第43回衆議院議員総選挙で比例中国ブロックで再選。
- 2005年9月の第44回衆議院議員総選挙では広島6区において、郵政民営化に反対して自民党を離党し国民新党に参加した亀井静香に加え、自民党推薦・無所属で堀江貴文が立候補し、一躍全国注視の激戦区となる。三つ巴の選挙戦の中、佐藤は亀井、堀江の争いに埋没する形で落選した。
- 次期総選挙でも広島6区の民主党公認候補として内定していたが、一転して参議院広島選挙区での公認候補となる見通し。これは亀井静香との対決を避け、参議院選挙での国民新党の協力を進めやすくする狙いがあるといわれている。亀井静香も、テレビ朝日の番組で佐藤の支援を表明した。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 佐藤こうじ・前衆議院議員・民主党(公式サイト)
- 民主党広島県総支部連合会