佐藤守良
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佐藤 守良(さとう もりよし、1922年3月28日 - 1996年3月7日)は、日本の政治家。広島県御調郡向島町出身。次男は民主党元衆議院議員の佐藤公治。
[編集] 来歴・人物
尾道商業高校、中央大学法学部卒業。のち運輸大臣を務めた永野護の秘書を長く送り、1960年に無所属で衆議院議員選挙に立候補するが落選。9年後の1969年に自由民主党公認を得て、再び広島3区から衆議院議員選挙に立候補し47歳で初当選。以後連続当選9回。
自民党内では佐藤派→田中派→竹下派に所属し、第2次中曽根内閣の農林水産大臣、第2次海部内閣の国土庁長官などを歴任。同期当選の小沢一郎の盟友として知られ、「小沢総理」実現を生涯の目標とした。1992年の竹下派分裂に伴い、羽田・小沢派に参加。翌年、自民党を離党し新生党結成に参画、新生党常任幹事に就任した。羽田内閣では北海道開発庁長官兼沖縄開発庁長官を務めた。1995年、勲一等旭日大綬章受章。1996年3月7日、気管支動脈瘻による出血のため死去。73歳だった。
愛称は「ゴマスリ守良」「ごもっとも守良」。小沢らに対するゴマすりの程度は尋常でなく、また、何を聞いても「ごもっとも」といい加減な受け答えをすることから名づけられたという。
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