光明寺 (長岡京市)
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光明寺(こうみょうじ)は、京都府長岡京市粟生にある寺院。西山浄土宗の総本山である。西山浄土宗の総本山光明寺は、長岡京市西山のふもと、粟生広谷。宗祖円光大師法然上人が御歳43歳の時、日本で最初に念仏の産声を上げられた立教開宗の地。
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[編集] 由緒
法然上人が24歳の時、奈良へ学匠となるべき師を求めて叡山を降りられたとき、この粟生野の里、当時村役の高橋茂右衛門宅に一夜の宿を借る。その時、茂右衛門夫婦は、上人の真剣な求法のお気持ちと、広く大衆が救われる道を求めての旅である事を聞き、「まことの教えを見いだされましたならば、先ず最初に私共にその尊いみ教えをお説き下さいませ」とお願いし、ついに浄土宗を開かれた上人は20年間のお約束の通り、この粟生野の地で初めて念仏の法門を説かれた。文治元年(1185年)に、かの源平の戦いで有名な熊谷蓮生(れんせい)法師(熊谷次郎直実)が戦いの明け暮れから、積もる罪業を償い極楽往生の道を求めて法然上人を訪た。 「どんなに罪は深くとも、念仏さえ一心に申せば必ず救われる」との、あまりにも有り難いみ教えに歓喜し、直ちにお弟子となり剃髪した。 法力房蓮生と名付けられ、数年のご修行の後、喧噪の吉水を離れ、 静かに念仏を称えられる地を求めて、建久九年(1198年)に、上人ゆかりの地、粟生広谷に寺を建て、法然上人を勧請して入佛落慶法要を営み、開山第一世と仰ぎ、自らは二世となり、上人からは「念仏三昧院」の寺号を頂く。これが光明寺の発祥。
[編集] 附属施設
[編集] 所在地
京都府長岡京市粟生西条ノ内26-1
[編集] 交通アクセス
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