光法賢一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
光法 賢一(こうぼう けんいち、1973年8月18日 - )は、鹿児島県熊毛郡南種子町出身で宮城野部屋所属の現役大相撲力士。本名は峯山 賢一(みねやま けんいち)。身長182cm、体重136kg。 最高位は西前頭9枚目(2002年1月場所)。得意技は左四つ、下手投げ。
目次 |
[編集] 来歴
中学卒業と同時に、元幕内・廣川が主宰する宮城野部屋に入門。1989年3月場所に初土俵を踏んだ。直後に師匠が急逝し元幕内の竹葉山が部屋を継承。1991年9月場所には弱冠18歳で幕下に昇進。決して体が恵まれているとは言えなかったが、左四つになると力を発揮し期待された。しかし、攻めが遅かったため幕下上位で苦労し十両に昇進するまで7年以上掛かってしまった。我慢の甲斐あって1999年1月場所にようやく十両に昇進。左半身の体勢からの下手投げは強烈なものがある。
十両に定着し、安定した成績を残した。怪我で1度は幕下に陥落したが直に十両に復帰し格の違いを見せた。2001年11月場所には新入幕を果たし、東前頭14枚目で8勝7敗と勝ち越し、翌2002年1月場所には最高位の西前頭9枚目まで番付を上げた。しかし、幕内での勝ち越しは新入幕の場所の1回だけにとどまり、幕内に定着することが出来ず、現在は十両での土俵が続いている。また、十両でも負け越しが多く、最近は十両中位~下位に甘んじている。パンチの効いた張り手と姑息な蹴手繰りが得意技。趣味は洋画・音楽鑑賞。
光法の四股名は、茨城県ひたちなか市の道明寺の住職が考案した3つの候補の中から、父と祖父の名前にそれぞれ「光」という字が入っており、父の名前である「みつのり」とも読むとの理由で選んだという。
[編集] エピソード
- 2005年11月場所を最後に引退した元幕内の五城楼とは同年同日生まれである。
- 大関白鵬の兄弟子で、入門当初からその素質に注目。「あいつは強くなる」と予言していたが、実際にすぐに追い抜かれてしまった。
- 2006年1月場所、翌3月場所、同部屋の白鵬が千秋楽まで優勝争いに絡んでおり、自らの取組み後も支度部屋に待機していたが、用なく終わってしまった。続く5月場所、優勝決定戦の末、白鵬が初優勝し、晴れて初旗手を務めた。
- 関取になって以来、ずっと付け人をしていた望櫻とのコンビを「光法組」と称している。2006年7月場所以降、望櫻は、白鵬の付け人をしているが、白鵬が全休だった同年11月場所は、1場所だけ「光法組」が復活された。
- 明るい性格で非常に「いい人」であると言われる。
- 新十両の場所で大至と対戦した際、大相撲中継を担当していたアナウンサーが両者の四股名を捩って「弘法大師」と駄洒落を言ったことがある。
[編集] 主な成績
2007年1月場所終了現在
- 生涯成績:562勝541敗14休(108場所)
- 幕内成績:21勝39敗
- 幕内在位:4場所
[編集] 各段優勝
- 序ノ口優勝:1回(1989年5月場所)
[編集] 改名歴
- 峯山 賢一(みねやま けんいち)1989年3月場所-1996年9月場所
- 光法 賢一(こうぼう-)1996年11月場所-