兼子正
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兼子正(かねこ まさし - 1942年11月14日)は、大日本帝国海軍の軍人。最終階級は海軍少佐。
[編集] 略歴
日本橋区久松小学校、府立一中を経て海軍兵学校60期。1935年、中尉任官。日華事変(日中戦争)開戦時は、第二連合航空隊第13海軍航空隊(千田貞敏司令)に所属し、1937年8月22日、蘇州方面にて兼子中尉率いる当時新鋭のわずか4機の九六式艦上戦闘機にてカーチスホークス及びボーイング戦闘機など敵18機との交戦の末、30分間足らずで相手9機撃墜の戦果を挙げ、当時の新聞紙上にて「海鷲の英雄」、「空の英雄」といわれた。横須賀海軍航空隊付を経て、太平洋戦争(大東亜戦争)開戦時は、大尉として真珠湾攻撃に参戦、板谷茂率いる第一次攻撃隊・第六制空隊長として零戦6機を率いて出撃した。第3次ソロモン海戦にて戦死。
兄に兼子一、兼子宙。