分部光寧
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分部 光寧(わけべ みつやす、文化6年(1809年)8月 - 安政5年7月21日(1858年8月29日))は、近江大溝藩の第10代藩主。第9代藩主・分部光邦の子。子に娘(綾小路有良室)。官位は従五位下。左京亮。
文化6年(1809年)8月、江戸で生まれる。幼名は武吉。文化7年(1810年)、父の死去により後を継ぐ。近藤重蔵を罪人として預かったが、光寧は重蔵を丁重に扱ったと言われている。天保2年(1831年)3月10日、養嗣子の分部光貞に家督を譲って隠居し、楽斎と号した。安政5年(1858年)7月21日、大溝にて50歳で死去した。法号:真宗義諦正眼院。墓所:滋賀県高島市大溝の円光寺。
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