分部光邦
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分部 光邦(わけべ みつくに、天明6年(1786年) - 文化7年9月22日(1810年10月20日))は、近江大溝藩の第9代藩主。第8代藩主・分部光賓の子。正室は戸田忠翰の娘。官位は従五位下、若狭守。
天明6年(1786年)、大溝に生まれる。幼名は武吉。兄の分部光弘が早くに死去したため、寛政10年(1798年)4月に世子として指名された。文化5年(1808年)の父の死去により後を継ぐ。大坂加番役を務めた。文化7年(1810年)8月に幕命により江戸に出府したが、同年9月22日(もしくは9月27日)に江戸で急死した。後を子の分部光寧が継いだ。
墓所:滋賀県高島市大溝の円光寺。または東京都港区赤坂の種徳寺。
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