加藤千蔭
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加藤 千蔭(かとう ちかげ、享保20年3月9日(1735年4月1日) - 文化5年9月2日(1808年10月21日))は、江戸時代中期から後期にかけての国学者・歌人・書家。父は加藤枝直。姓を橘氏とすることから、橘千蔭とも称する。通称は又左衛門。字は常世麿。号は芳宜園など。
歌人で江戸町奉行の与力であった父・枝直の後をついで吟味役となったが、寛政の改革にあたり、1788年(天明8年)町奉行与力を辞し、学芸に専念した。
若くして諸芸を学んだが、特に国学を賀茂真淵に学び、退隠後、師真淵の業を受け継ぎ、同じく真淵の弟子であった本居宣長の協力を得て『万葉集略解』を著した。
和歌については、千蔭の歌風は『古今和歌集』前後の時期の和歌を理想とする高調典雅なもので、村田春海と並び称された。
また書にも秀で、松花堂昭乗にならい和様書家として一家をなし、仮名書の法帖を数多く出版した。
絵は、はじめ建部綾足に漢画を学んだが、その後大和絵風の絵画に転じた。