建部綾足
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建部綾足(たけべ あやたり、享保4年(1719年) - 安永3年3月18日(1774年4月28日))は、江戸時代中期の俳人・国学者・画家。陸奥国弘前藩の家老喜多村氏の次男として生れた。幼名は金吾。名は孟喬。俳号は涼袋(りょうたい)などと称した。
1738年(元文3年)20歳で藩を出奔し、諸国を旅した。俳諧は初め志太野坡(しだやば)に師事し、のち和田希因、中森梅路に師事した。1763年(宝暦13年)俳諧を批判して片歌説を提唱、またこの年以降国学を賀茂真淵・本居宣長に学び、和歌に親しんだ。1768年(明和5年)読本「西山物語」を刊行している。画のほうは、30歳代に2度長崎に赴き熊斐・費漢源・李用雲に南画を学んだ。最終的に江戸で没した。