北信景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
北 信景(きた のぶかげ、1575年(天正3年) - 1615年(元和元年))は、江戸時代初期の武将。盛岡藩主 南部氏家臣桜庭光康の子で、北信愛の養子。母は信愛の妹。
南部氏家臣・桜庭光康の子で、後に南部氏の宿老であった北信愛の養子となる。父と同じく南部氏に仕えていたが、主君の南部利直と仲が悪く、それが原因で対立して出奔した(一説には信直の無理な命令による工事で事故が発生して、監督をしていた信景の息子が死亡したからだとも言う)。1614年からの大坂の陣では豊臣氏に味方し、派手な甲冑を身に付けて活躍したことから『南部の光り武者』と称された。
大坂の陣後、南部利直の捜索によって捕らえられ、盛岡で処刑された。